« May 2005 | Main | July 2005 »

2005.06.24

ビギナーズ・クラシックス 中国の古典『論語』加地伸行

五十にして「論語」を読む ―その二―

 いくつか読んだ『論語』関係の本の中で、今一番のおすすめは、加地伸行先生の『論語』です。
 講談社学術文庫版は、『論語』の現代訳本の中では、一番新しいものではないでしょうか。平成16年3月発行です。
 一部新解釈もあり、図版を含め、字も大きめで、わかりよい、読みやすいものになっているように感じます。

 もうひとつ、実はこちらが私は好きなのですが、角川ソフィア文庫<ビギナーズ・クラシックス 中国の古典>『論語』です。(※)
 先生が、今はまだ幼い自分のお孫さんが中学生になったら読んで欲しい、という願いをこめて中学生にわかるように書いた(でも決してそれは程度を落としたというのではなく、気持ちの上で語りかけるものとして)ものです。

 昔ならこんなことを聞けばかえってじじむさいとか何とか言って敬遠していたでしょう。ところが、加齢のせいか、この言葉に心打たれました。優しさを感じました。この本は読まねば、という気になりました。
 読んでみると本当にわかりやすく書かれています。

 例えば「仁」について―。この字の左側は「人」を表しています(これは知っています)。右側(二)は敷物を意味するそうです。そこで、人が敷物の上に座っているとほんわか暖かい、この暖かい気持ちで人と接することが「仁」なのだというのです。
 なるほどそういうことか、とよくわかります。

 私は孔子の生涯といったものについて書いた本も先に読んでいました。だいたいのことは知っている(つもりです)ので、孔子の生涯に則って書き進める第一部は、ちょうどおさらいするようで、楽しく読み進めました。
 第二部の『論語』のことばの各章も、儒教についての簡単な講義も含めて『論語』や儒教というものが良く理解できました(特に「孝」)。

 まさに入門書としてはうってつけな気がしました。
 漢文の知識がなくても理解できるようにと配慮されているので、漢文は横目で眺めるだけでいいわけですし、書き下し文はふりがなが全部振ってあり、スイスイと読み進められます。

 先生は、講談社学術文庫版を書き上げた後にこちらの執筆に入られたそうで、平成16年10月の出版の本です。学術文庫版を元に一段と平易に解説したものになっています。
 50歳にして『論語』を初めて読んだ私を待っていたかのような出版です。もし十年前に『論語』を読もうとしていたら、この本はまだ出ていなかったのです。
 世の中にはめぐり合わせというものが確かにあるのだなぁ、と改めて実感しました。

※本書は「レフティやすおの本屋」本店「新しい生活のために/古典編」で紹介しています。
※参照:「「レフティやすおの本屋」店長日記」本店「新しい生活のために/古典編」に角川ソフィア文庫『論語』を追加
―追記(2005.8.12):本書は『レフティやすおの本屋』「本店」新しい生活のために/古典入門編に移動しました。

++『論語』に関する記事 ++
・2005.7.5 五十にして「論語」を読む ―その三― 渋沢栄一 論語の読み方
・2005.6.17五十にして「論語」を読む

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.06.23

左利き用自転車両立スタンド発売

久しぶりにネットの(アフィリエイト)左利き用品専門店「左きき屋」さんの情報から―「★★★ 左きき屋の日記 ★★★」 「新商品(自転車スタンド)を追加しました。」

「左利き用 自転車両立スタンド」が発売されているそうです。

左利きの方が使いやすいように、右側にスタンドのロックが付いています。 CP(メッキ)仕上げ。シルバーです。※一般的なシティーサイクル、軽快車用です。

私の知り合いにも、右側からしか乗れないという人がいます。その場合、従来のように左側にロックのあるスタンドですと、いったん左側に行ってロックをはずし、しかるのち、右に回ると言う手間が要りました。これならその手間が不要で、とても便利です。
ちょっとしたアイディアですが、心憎いものがあります。

私は左利きですが、右用に慣れているので別に気になりません。しかし、左利きで不便を感じていた人、また右利きでも右から乗る人には、この製品は福音です。
楽チンさんも言うように、"ちょっとした"商品ですが、だからこそ余計にうれしいですね。
お値段も税込1,260円ですので、まずはお試しあれ、というところでしょうか。

徐々にではありますが、このように様々な観点から、今までになかった左(利き)対応の商品が確実に生れています。
世の中は動いています。片寄らない視点で見直すと、まだまだいろんな新商品のアイディアが浮かんできそうです。
左利き人生も、楽しみいっぱいです!

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載して、gooブログ・テーマサロン◆左利き同盟◆に参加しています。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.06.17

五十にして「論語」を読む

 思えば私は、五十になった昨年初めて『論語』を読むようになりました。
 きっかけは、新たに友人となった人物が『論語』を好きだと聞いたからでした。
 昔中学時代に国語の教科書で、「巧言令色、鮮なし仁」などは習った覚えがあります。他にもいくつかありました。
 しかし、高校は工業高校で古典を学ぶ機会もなく、その後社会人になってからも、古典中の古典であり、東洋の智恵、人生の書ともいうべきものと聞き知ってはいましたが、元来漢字が苦手な私は、漢文を原典とする『論語』を手に取ってみようという気になれませんでした。

 ところが不思議なもので、年々歳々古典と言うものを読んでみようという気持ちになってきました。十年ぐらい前からポツポツと古典文学などに手を出すようになりました。
 少しは人生というものがわかり始めたのかもしれません。

 そして、この出会いです。
 初めはおそるおそる読書案内的なもので、『論語』のエッセンスにふれてみました。
 するとなかなかおもしろいのです。実人生の中の場面場面にいろいろ当てはめることができたりします。

 そして心から『論語』はすごいと感じたのは、中野孝次『論語の智慧50章』(潮出版社・潮ライブラリー 1998年刊)でした。
 この本の初めの章で中野氏は、『論語』の冒頭の一文(「子曰く、学びて時に之を習う。亦説ばしからずや。…」というあれである)について、これから勉強を始めようという人に向って、一番初めに学問の楽しさをこれだけはっきりと書いている本は他にない、と書いています。本当にそうだ、と感心したものでした。

 実は子供の頃、私は勉強が好きでした。
 でも、人前で勉強が好きという勇気がありませんでした。子供は皆、勉強は嫌い、学校で好きな時間といえばお昼休みと体育の時間などとされていました。そこで、勉強が好きなどとは口が裂けても言えない雰囲気でした。勉強が好きなどと言えば、がり勉野郎のように言われてしまいます。でも、ホントは好きだったのです。知らないことを知ること、わからないことを教えてもらえるのはうれしいものでした。
 後年、勉強が好きで楽しかったのは、内容が理解できていたからだと気づきました。先生の言うことがチンプンカンプンなときはその勉強が嫌いになるものなのです。
 『論語』を読んだ今、私は勉強が好き、と自信を持って胸を張って言えます。

 話を戻して、『論語―』です。
 しかも、昔時代劇の寺子屋の場面で耳慣れたあの文(シ、ノタマワク…)を目にすると、こちらも自然に門前の小僧が習わぬお経を読むように、すんなりと入ってゆけるのです。
 リズム感がいいのです。
 「声に出して読みたい日本語」なんて本が流行っているようですが、まさにそんな感じです。

 こんな風にして、『論語』のおもしろさに目覚めた私は、少しずつ岩波文庫版をはじめ、関連本を色々と読むようになってゆきました。
 それらについては、またの機会に―。

++その後の『論語』に関する記事 ++
・2005.7.5 五十にして「論語」を読む ―その三― 渋沢栄一 論語の読み方
・2005.6.24 五十にして「論語」を読む ―その二― ビギナーズ・クラシックス 中国の古典『論語』加地伸行

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.06.14

左投手は危険がいっぱい―『サウスポー・キラー』水原秀策

ダブルプレイ―おお、なんという美しい響きの言葉だろう。私は思わずぽんと左手でグラヴを叩いた。

『サウスポー・キラー』水原秀策 宝島社(2005年)を紹介しましょう。


2004年度第三回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作です。
もちろん私が興味を持ったのは、このタイトルでした。しかし、それだけではありません。
巻末選評によりますと、内容はディック・フランシス・タイプのハードボイルド野球ミステリーだというのです。
これはフランシス・ファンとしては見逃せません。

期待にたがわず、フランシスの主人公張りのクールで頭脳派のサウスポー、左ピッチャー沢村が主役です。彼の一人称で綴られる物語です。時にちょっとくさいせりふもありますが…。ロマンスも盛り込まれ、まずまず心地よい読後感です。

ストーリイは―
プロ入り二年目のローテーション投手の沢村は何者かに襲われます。そのとき男は約束を守れという謎の言葉を残します。さらに後日、チームの先輩で同じく左投手三浦の百五十勝達成記念パーティで再び暴行事件に巻き込まれます。幸い、同席していた女優黒坂美鈴や三浦に発見され、事なきを得ますが…。

なんとその後、球団やマスコミに沢村は八百長をやっているという怪文書がメールで送られ、その添付ファイルには、最初の暴行事件の際のビデオが添えられています。そこには確かに約束を守れの一言が。
彼は自宅謹慎処分に―。
その後、何とか解除され二軍で投げることになり、また彼の無実を叫ぶ声を支持するマスコミも現れ、無事一軍に復帰します。

しかし、彼はこの疑惑を晴らすべく事件解決に努めます。そして浮かび上がってきたのは、彼のチームでは左投手ばかりがトレードされているという事実でした。
さらに暴行事件の被害者で選手生命を失くした左投手の存在も浮かんできます。
一体このサウスポー・キラーの正体は?

途中で予想は付きますが、黒坂美鈴の謎の行動はなかなかでした。
ラストの犯人との出会いと別れも意外でした。
将来が楽しみな新人作家の登場です。

*
この記事のタイトルを見て、ニヤッとした人は正解です。
わからない人は、少し勉強してください。左利きの勉強を。

最後に一言、私は登場人物の名前が少しひっかかりました。ちょっとね。
まあ、近鉄バファローズ・ファンだから、というわけではありませんが、ね。
もうひとつ。
言い忘れていましたが、この球団やある人物はあのチームとあの人がモデルのようです。

本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載して、gooブログ・テーマサロン◆左利き同盟◆に参加しています。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

2005.06.11

「左利きプチ・アンケート第17回 学校での配膳は左利きの子も伝統的ルールに従うべきか」のお知らせ

『レフティやすおの左組通信』で6月12日から実施する<左利きプチ・アンケート>の第17回目のお知らせです。
今回は配膳の作法について考えて見ます。日常茶飯事と言う言葉もありますが、ある意味では人生の最も重要な問題かもしれません。
食事の際には、左箸の左利きの人は(右利きの人に)人知れず気を使っているものです。できるだけ左側の席を取る、左隣の人と肘が当たらないように空きを取るように座る、さりげなく食器の配置を変えるなどなど。

* <左利きプチ・アンケート>第17回 学校での配膳は左利きの子も伝統的ルールに従うべきか *

『レフティやすおの左組通信』掲示板でご相談を受けました、学校(幼稚園・保育所など)での配膳は左利きの子も右利きの子も一律に伝統的ルール(左側にご飯茶碗右側に汁物など)に従うべきかどうかについてお尋ねしてみます。
(相談者の場合は、私のアドバイスも参考に話し合いの結果、作法にとらわれずそれぞれ食べやすい配膳にする、とのこと。詳細は、お手数ですが下記のリンクより掲示板をご覧ください。)

和食の場合でも洋食の場合でも、伝統的な配膳のルールでは右利きの人が食べやすい配置となっています。
そこで、左利きの子は腕を交差させて食べなくてはいけない。そのため、つい汁物の入った食器を倒すなどの弊害があるようです。

『*大 手 小 町* WOMEN 発言小町~左利きの悩み』http://www.yomiuri.co.jp/komachi/reader/200504/2005041500033.htm のなかでこんな意見も出ています。「和食の配膳のままだと食べづらいので、目に付かないようにこっそり影膳の配列に並べなおして食べて、またこっそり戻しておきます。」 <頑なに左手を使うことも無いですよ>

学校などではその子の利き手があらかじめわかっているので、それに応じた方法も考えられるべきかもしれません。反面、ひとつの作法として配膳の正しい方法を教えるチャンスでもあります。
家庭ではそれぞれの方針としてある程度自由に裁量できますが、学校などではどうあるべきでしょうか。

あなたは学校などでも、左利きの子も右利きの子と一律に等しく伝統に従った作法通りの配膳方法で給仕するべきだ、とお考えですか。それとも、それぞれの子に応じた対応をするべきだ、とお考えでしょうか。
以下の中から一番ふさわしいと思うものをひとつお選びください。

*投票者の利き手別で選択肢を用意しています。ご自身でご自分の利き手を右もしくは左と、どちらか判断した上で投票してください。(どちらかの手が不自由等で必ずしも利き手を使っていない人は、実際に使っている手の方で投票にご参加ください。)

*一言言わせて、というお方は投票後に表示されます一番下の「ご意見ボード」をご利用ください。もっと言わせて、というお方は掲示板もご利用ください。貴方のご意見ご感想をお聞かせください。

1(右利きの投票者)伝統に則って右利きも左利きも同じく配膳する、勝手に並べ替えてはいけない
2( 〃 )伝統に則って配膳後、各自で勝手に並べ替えればよい
3( 〃 )伝統に関係なく、最初から利き手に配慮して、子供に対応した配膳をする
4( 〃 )わからない
5(左利きの投票者)伝統に則って右利きも左利きも同じく配膳する、勝手に並べ替えてはいけない
6( 〃 )伝統に則って配膳後、各自で勝手に並べ替えればよい
7( 〃 )伝統に関係なく、最初から利き手に配慮して、子供に対応した配膳をする
8( 〃 )わからない

※お手数をおかけしますが、投票は『レフティやすおの左組通信』のアンケート欄よりお願いいたします。

レフティやすおの左組通信 掲示板

このアンケートの結果をみる

過去の全アンケートを新規に投票、コメントできるようにしました。
新たな投票、コメントをご希望の方は、『左組通信』のそれぞれの回のページでお願いいたします。

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載して、gooブログ・テーマサロン◆左利き同盟◆に参加しています

2005.7.17追記1:このアンケートは、六月十二日から七月九日まで四週間に渡って「左組通信」表紙で実施され、投票総数15(うち右利き4、左利き11)を記録しました。
詳細は、「左組通信」内「<左利きプチ・アンケート>第17回 学校での配膳は左利きの子も伝統的ルールに従うべきか」をご覧ください。
こちらで、新規の投票を受付しています。お気軽にご参加ください。また御意見のみの記入も可能です。結果表示の後のご意見欄にてご記入ください。

追記2:配膳における左利きの子への対応については、以下の記事をご参照ください。
・2005.06.04左利きの子にやさしい環境を整えよう―左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ―その6
お茶でっせ版
新生活版
・『レフティやすおの左組通信』「レフティやすおの左利き私論3・左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ」

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.06.08

TOKIMEKIママ倶楽部 ~ ママのお悩み、みんなで解決!

久しぶりに左利きについてネット検索して見ました。
最近はブログの普及とともに、左利きに関する記事もグッと増えてきました。そんな中から興味深いホームページを紹介してみましょう。

*
シャープが運営するスペースタウンに「TOKIMEKIママ倶楽部」というママを応援するコミュニティサイトがあります。
ここに「どうする?育児家事」コーナー「ひとこと言わせて!/ママのお悩み、みんなで解決!」という相談コーナーがあります。

2004年12月16日の相談は「年長の娘は左利き。右で書けるように直したほうが良い?」です。
「年長の娘は左利き。幼稚園で書き方の練習が始まったのですが、書くことだけでも右で書けるように直したほうが良いでしょうか。/来年から小学校に上がるので、心配です。」
リンク: TOKIMEKIママ倶楽部 ~ ママのお悩み、みんなで解決!.

"そうだんず三人組"ジョアンナ、クララ、マシュマロがそれぞれ代表的な意見を述べ、それぞれの投票数とコメントが紹介されています。
要約すると、以下のようになります。

ジョアンナ=変換賛成派(投票数3):左利きでは漢字など書きづらいことがある。他にも使いづらい道具もある。そこで、使いずらそうにしていたら、右手で使うと使いやすいよ、と無理なく自然に右手を使うように誘導してみては?

クララ=変換反対派(投票数11):左利きでいい。本人が使いづらいと思えば右手で書いてみようとする。得意なことも多いし。

マシュマロ=基本は反対、親の気の済むように一部容認派(投票数9):その子それぞれでいい。気になるなら右手も使えたらさらに素敵ね、という感じで右手を使えるように誘ってもみてもいい。

*
コメントの中で私が気になるのは、「わが家はこうしたい」と言う家庭、親の方針を打ち出している場合です。
なるほど思想や倫理観など精神的な事柄に関しては、それで良いと思います。
しかし、物理的に変更不可能な性質にまでそれを持ち込むのはやはり問題があると思います。利き手の問題はそういう変更不可能な要素を含む問題であると考えられます。

左利きというのはひとつの個性である、と言われるようになりました。そして、それぞれの子供の個性を認めよう尊重しよう、と言う左利き肯定の方向に社会は進んでいます。
ただ、個性と表現すると誤解を生むおそれがあります。個性個性と言うが、個性なら何でも許してよいのか、それでは自分勝手な人間に成長するだけだ、良いことと悪いことはしっかり教えて躾けなければいけない、と考える人も現れます。

私は、利き手は才能だと例えます。
右利きとは、右手を主に左手を従に使う才能。左利きとはその逆で、左手を主に右手を従に使う才能です。
才能ですからこれは変えることはできない。人によりそのレベルも異なる(才能の豊かな子は、非利き手も使えるようになるかもしれません)。そこで、それぞれの才能を活かす方法を考えるべきだ、と理解できると思います。

しかも、人間には才能だけでなく、能力もあります。これは変えることができます、本人の意志と努力とによって。
人は才能である利き手は変えられないが、実際に使う手は才能の範囲内でその能力を伸ばすことができます。しかしそれはあくまで、本人の意志と努力の結実として身に付くものです。それは物心ついてから、十代に入ってからで十分です。(以前紹介した、左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」の小野二郎さん〔※注1〕は、板前になろうと決意した十代初めに包丁を右手に持ち替えたそうです。―山本益博・著『至福のすし―「すきやばし次郎」の職人芸術』新潮新書より。)
左利きというのは、脳神経系の機能という理由があってそうなっているわけですから、その原因を解消しなければ変えられるものではないのです。字を書くという行為も運動+言語という脳神経系の機能の複合の結果です。このような複雑な動作は利き手で行うほうが良いと思います。

基本的に幼児期においてはその持って生れた才能を十分に活かす方法を考えるべきです。
家庭の方針といって子供を縛るのは、利き手使い手の問題に関してはいかがなものか? と大いに疑問に思います。
ましてや、親の気が済むようにと、子供に右手使いを促すという行為も、どうでしょうか? 
子供は親のものではないのですから。子供を一番の考えるのが自然な子育てのあり方でしょう。
子供は親の喜ぶ顔見たさに、親の指図に従うかもしれませんが…。
親の笑顔を子供の喜びにさせるのではなく、子供の笑顔こそ親の喜びでしょう。

*
それともうひとつ気になるのは、字は右手で書くようにできている、という思い込みです。
本来文字(漢字)の成り立ちというものを考えると、右手で書くように生れては来ていないということです。
生れた後に、一部の人達によって右手で書きやすいように改変させられ、それが正式な書き方であり、美しい文字であるという基準に落ち着いたということでしょう。

現代人は、文字というものは万民が使うありふれた道具だ、と思い込んでいます。しかし、何千年かの文字の歴史(漢字の歴史は三千三百年ぐらいという)の中で、実際に万民のものとなったのはついこのあいだのことです。二、三百年も前には、一部のエリートだけが使う道具だったのです。
字を書くという技術は、エリートのステイタスだったのです。(今でも識字率の低い国があります。)
当然そこにはのちのち色々な尾ひれ(流儀・作法)がついてくるわけです。そのひとつが文字は右手で書くものという固定観念につながっているのだと思います。

*
全般的に見ると、変換反対派が多数を占めています。次に、一部容認派。変換賛成派はごく少数の意見となっています。す。それでも一部容認派を合わせると、五分五分というところです。
まずは常識的な線に落ち着いているようです。
反対派が多数を占めているのはうれしいのですが、内容的にはもうひとつ決定打に欠けるようで、私としては今ひとつ歯がゆい気分です。

また、一部容認派の中にも、私としては考えを改めて欲しいと思うものがあります。
やはり、一番大切なことは誰がそれを行うのか、という点です。それは子供自身です。子供は期待されればそれに応えようとするものです。その親の期待が子供にとってはどうなのか、ということを十分考えた上で結論を出して欲しいと思います。

※注1:
2005/05/20 左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」・その一 
お茶でっせ版新生活版
2005/04/06 左利きのすし職人『すきやばし次郎 旬を握る』 
お茶でっせ版新生活版

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載して、gooブログ・テーマサロン◆左利き同盟◆に参加しています。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.06.04

左利きの子にやさしい環境を整えよう―左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ―その6

―左利きの子にやさしい環境を整えよう―

左利きの子に対する実際の手助けとしては、環境を整えてやることができます。

私たちが日常使用する道具には、元々左右対称形に作られていて、使う手を選ばない品物がかなりあります(例―普通の箸やスプーン、フォークなど)。
しかし、ハサミや刃物のような使う手を選ぶものも少なくありません。
こういうものに関しては、必ず左手・左利き用品を与え、左手でも苦労することなく、右利きの子供たちと同じレベルで様々な作業ができるようにしてあげましょう。

幸い、昨今は色々な左手・左利き用品が出回っています。これを用意しましょう。
あるいは、様々なユニバーサル・デザインと呼ばれる、右手でも左手でもどちらでも両用可能な商品(共用品)も開発されています。

手に合わない道具を使うと、うまく作業ができず、自分は不器用なダメな子ではないかと自信をなくす場合があります。
しかし、自分の体にあった専用の道具を使うと、右利きの子と同じようにでき、何事にも積極的に取り組む「ふつう」の子になります。

家庭内では、なるべくユニバーサル・デザインの左右の差がないものを用意しましょう。こうすれば、右利きの家族でも左利きの子でも、あまり不便さを感じることなく使うことができます。

たとえば、シャープのどっちもドア冷蔵庫は、左利きに配慮した結果生れた商品ではなく、本来は置き場所に困らないための設計です。しかし、結果としてどちらの手でも開けられることになり、使い勝手が格段にアップしています。
三菱クリンスイの浄水器のどっちもレバーは利き手に配慮した設計から生れたものですが、それのみならず、最近の浄水器はU字型レバーが標準のようになって来ています。また、洗面台の蛇口でも、蛇口とレバーが左と右に分かれたセパレーツ型だけでなく、レバーと蛇口が上下一体型になった製品も出ています。
これらは右利き左利きに関わらず、片手がふさがっているときなど便利な物になっています。

(その他に家族が共用する道具で言いますと、お茶を入れる急須は、注ぎ口と取っ手が上から見てへの字型になっているものは右手で使うように設計されているので、左手で使うのに不向きです。注ぎ口と取っ手が一直線になっている左右対称形のティーポット型か、弦状の取っ手がついている土瓶形がよいでしょう。
意外に気になるのがバターナイフです。これも普通のものは上から見ると左向きの刀のような形になっています。右手で持ってバターをカットしてすくって塗るのに便利なようになっています。真っ直ぐな板状のものも出ているようなので、こういうものに変えるか、あるいはジャム・スプーンを代用しましょう。
さらに、子供に料理のお手伝いをしてもらうなら、ピーラーも芽取りが左右についているものを用意する。レードルも片注ぎ口タイプは避ける。片手鍋は両側に注ぎ口があるものにするなど、ちょっとした配慮が必要です。)

このように見てくると、左利きの子に配慮した環境は、必ずしも右利きの人にとって不利になるとは限らないのです。

*
食事や書き物などでテーブルに座る席順も、左利きの子には左側に十分スペースを取れるようにしてやる。逆に右利きの人は右側に、といったちょっとした配慮で、生活の不便さが緩和されてきます。
(例えば外食の際などに、左利きの人のなかには、隣の人と肘が当たらないように左端の席に着くように心がけているという人も少なくありません。)

食事の給仕の際も、四角四面にご飯茶碗は左、おかずは右とか決め付けずに、その子の利き手に応じた設定を心がける。 給仕する人が左利きの対応の仕方が自分でわからないなと思ったときは、左利きの子に自分の食べやすいように並べ替えればいいのだよ、と一言添える。

和食でも洋食でも決まったルールがあり、それぞれの伝統に則って配膳すべきではないか、という意見があります。
しかし、一流のレストランでもお客様が左利きとわかれば、それ以後は左利きに応じた給仕をしてくれる、と聞いたことがあります。左利きの握りすし名人と呼ばれる「すきやばし次郎」も、左手ですしを召し上がるお客様には左向きに出す、と言います(山本益博・著『至福のすし―「すきやばし次郎」の職人芸術』新潮新書)。

世の中には右手が使いやすい人や左手が使いやすい人など様々な人がいて、それぞれに応じた自然な動作や仕草があります。
規則を守るのは大事ですが、その運用は人情を考慮するべきでしょう。
『論語』の「学而第一・十二」で有子(有若、孔子の晩年の弟子)は、「礼の用は、和もて貴しと為す」礼儀作法の実行(用)はなごやか(和)なのが大切だ、と言っています。新渡戸稲造も『武士道』で、礼は愛である、心がこもっていなければならない、形だけの礼は偽物という意味合いのことを説いています。

配膳も相手が食べやすいように、という気配りです。大部分の人が右利きなので、右利きの人が食べやすいように並べるのがルールの基本になっています。最大公約数に合わせて、こうしておけば「まずは無難だ」というものです。
本来は、作法のための作法ではなく、人のための作法です。形にとらわれて本質を見失ってはいけないと思います。実際に不都合や不便さが出てくるのは、その本質を見失っているからでしょう。
フォーマルな場であれカジュアルな場であれ、みんなで和やかに食事できるのが一番大切なことです。

さて、基本ルールはこうだという一般常識はどう教えればいいのか、というと、右利きの人の席でお手本を示せばよいのです。
そして、これが"多数派の右利きの人用のルール"で、たいていの人は右利きなので、これが使いよい形として"基本形"になっている、と教えればよいのです。

*
こういう風に、基本的な部分で、常に右左の違いを認識し、その差が出ないように心がけましょう。
どうしても日常の生活では、ついついこの左側の視点を忘れてしまいがちです。
逆に言えば、物事の多くが右側の視点に立って作られているということを。
これは左利きの私でもそうなのですから、右利きの人は余計に気を配らなければ難しいかと思います。

とはいえ、人間は慣れるものです。
必要以上にこだわりすぎないのが、肝心です。あまりまわりのものがピリピリしすぎると、子供も神経質になり、マイナスです。時にはドーンと太っ腹に構えて見て見ぬふりをする時も必要かもしれません。
この辺の加減が難しいですね。

結論:
左利きに配慮した環境は必ずしも右利きの人に不利になるわけではなく、どちらの立場の人にも優しいものとなりうる要素を持っているのです。

左利きにも優しいユニバーサル・デザインは、"誰にでも優しく"を実現するための助け合いのシステムです。誰かが一方的に便利さを享受するのではなく、誰もがそれなりの負担もするという考え方だと思います。異なる立場の人の便利さのためには、時には多少の不便さには目を瞑るものでもあるのです。

左利きの子にはそれにふさわしい環境を与える努力をしてください。それがその子の幸せにつながるのです。
そしてわが子の幸せは親の幸せです。
できれば、他人の幸せも自分の幸せ、と考えられるようにしたいものです。

※注:参照=加地伸行全訳注『論語』「学而第一・十二」講談社学術文庫、同著『<ビギナーズ・クラシック中国の古典>論語』巻末「『論語』から生れたことば・ことわざ」角川文庫。
この言葉は、このあとに和やかさが大切といっても、なあなあになってはいけない、節度を持って両者がつりあわなければならない、という意味の文が続きます。しかし、根本はまず和やかであることです。

※『レフティやすおの左組通信』に「レフティやすおの左利き私論3・左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ」のページを設けています。過去に『お茶でっせ』で発表したものをすべて転載しています。

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載して、gooブログ・テーマサロン◆左利き同盟◆に参加しています。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« May 2005 | Main | July 2005 »