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2004.12.08

左利きを右手使いに変えさせる理由

gooの左利き同盟の参加者、Leftyさんからいただいた「「利き手(左利き)の矯正」という言葉の使用について」の記事へのコメントへ返事を考えているうちに、明らかにしておくべきだと思うことが出てきましたので、ここに書いておきます。

それは、左利きの子の左手使いを右手使いに変えさせる理由が変わってきたと言う事です。

ここでも先の記事で引用した、八田武志先生の著書『左ききの神経心理学』医歯薬出版 の一部をお借りして説明しましょう。

左ききを右ききへ改めることへの意味
世の中の大多数は右ききであり、少数者である左ききにとって不都合なことは、書字や道具の使用などをはじめとして少なくない、今日、親や教師が子どものきき手を矯正しようとする動機は、かつてのように“左”は邪悪であるというようなものではなく、できることならば子どもが大きくなって不自由を経験しないように、きき手を右手に変更しておきたいということであろう。

昔は、左利きや左手使いは、見苦しい、無作法である、躾の行き届かない所作である、と考えられてきました。
それゆえに、厳しく躾けて右手使いに直してやらねばならない。
これを「利き手(左利き)の矯正」と呼んで、右手使いに変える指導がなされてきました。

そして、右手使いができない子は、親や先生の言うことを聞かぬ強情でわがままで協調性に欠ける性格である。あるいは不器用、愚鈍、へま、頭がおかしい、などといった問題のある性質の子である、と考えられてきました。

しかし昨今では、左利きは矯正すべき性質(正すべき欠点)であると考えて、右手使いに変えさせようというのではなく、右利きが有利な社会において左手使いでは苦労するのではないか、という親心からの発想です。

(コメントへの返事でも書いたのですが、)

世の中が右利きに便利な社会にできているので、左手使いは不便で苦労するだろう、だから右利きに変えられるのなら右利きに変えさせたい、というのが昨今の左利きの子を持つ親御さんの考えです。

あるいは、利き手が変えられないのなら、せめて少しでも右手が使えるようになるように練習させるべきだろうか、という悩みです。

既にかなりの人たちが「左利き」=「無作法・不躾」「強情・わがまま」あるいは「異常」といった認識を持ってはいない、ということです。
「左利きは、正すべき欠点である」と考えて右手使いにさせることが「左利きの矯正」とすれば、そのような理由からではないということです。

それならば、わざわざ「矯正」という言葉を使う必要はないのです。
単に、右手を使う、といった表現で間に合うのです。

それだけのことを私は言いたいのです。

(残念ながら、一部にはまだ昔の常識にとらわれて、左利きを矯正すべきものと考える人がいるのは事実ですが、確実に減ってきています。)

*
そして、左手使いでは苦労するのではないかという親心があるのなら、次の八田先生の言葉をかみしめて欲しいのです。

左ききを矯正せずにいた場合に子どもが将来遭遇するであろう不自由さの観点から考えた場合はどうであろうか。確かに左ききの人が現在の日常生活で出会う不自由さは少なくないであろう。…略…
しかしながら、このような設備や道具が右きき用であるための不自由さは、解決できる問題である。左きき用のものを作成すればよいだけである。社会の中で多数者である右ききが左ききの存在を受け入れ、理解を示し、左きき用の設備や道具が大量に生産され、右きき用のものと大差ない価格で販売できるように配慮すればよいことである。社会が成熟するということが、少数者への配慮ができるかどうかで測れるとするならば、近い将来に解決されうる、またしなければならない問題といえよう。
多数者が少数者の存在を認め、適切な配慮をすることで不自由さが克服できるとすれば、左ききを矯正すべき理由は存在しないことになる。

左利きのわが子を苦労させないためには、わが子に鞭打つだけが唯一の方法ではないのです。
社会のあり方を左利きでも不自由しないものに変えてやることが、わが子だけでなく、これから先、この世に生を受けるであろう左利きの子供たちをも救うことになるのです。

<わが子より右利き社会に愛の鞭>
<親心あるなら社会を変えてくれ>

(これは私の作った左利き川柳です。)

*この記事は(goo部外者ですが)、gooブログ◆左利き同盟◆
に参加しています。

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Comments

はじめまして、PeaceOfMindと申します。
私も左利きですが、幼い頃は、右も使えてました。
親よりも周りの親戚達から食べ物を食べている時、
指摘されたら右を使って食べてました。
でも、結局は左利きで、きてますね(笑)
当時から自己主張が強かったのかもしれません。

Posted by: PeaceOfMind | 2004.12.08 at 11:56 PM

PeaceOfMindさま、はじめまして、コメントありがとうございます。

>親よりも周りの親戚達から食べ物を食べている時、
>指摘されたら右を使って食べてました。

ちょっと悲しい経験ですね。左利きの人特有のものでしょうね、きっと。まわりを見てしまう…。
私も子供の頃、親戚の法事か何かの席で、嫌な思いをした記憶があります。
親と違って親戚っていうのは、ある意味無責任でいいわけで…。(苦笑)

>でも、結局は左利きで、きてますね(笑)
>当時から自己主張が強かったのかもしれません。

少数派で生きていく上では、ある程度必要な要素かもしれません。

大事なのはいかに自分が納得のいく生き方ができるか、です。
左利きだから右手は使わないというわけではなく、使いやすい方を使った結果が左手だったということで…。
必要があれば、自分で右手を使うこともあるわけです。
○○だから××だ、式に言われるのが困るのです。

―ということで、これからもよろしく!

Posted by: レフティやすお | 2004.12.09 at 10:48 PM

とりあえず、単純な言葉の話で言うと、
2文字熟語の力って大きいですね。
それの言い換で「右手を使う」というのはまどろっこしい感じがします。

とはいえ、私の近辺では矯正ではなく、
「右利きに直す」という言い方をしてました…。
まあ、「最近の人」ではないですが…。
たぶん、こっちのほうが今となっては直接的なひょうげんですね。

「右手使い」という表現が定着していない以上、
「右利きにする」よりわかりやすい表現は私にはぴんと来ないです。

Posted by: Lefty | 2004.12.11 at 08:47 PM

Leftyさん、こんにちは。
ホントにその通りです。
2文字熟語の使いやすさは日本語のいいところでもあります。
それだけに、現状では、書き言葉の場合「矯正」というこの単語を使う方がすっきりした感じになります。
話し言葉で言えば「右利きに直す」という言い方ですね。
当然「直す」という言葉も「おかしい」ということになります。

言葉というものは、使われている実態が言わんとする人の気持ち・考え方を必ずしも反映したものにはならないのは事実です。
それだけに誤解されない方法を考えて使わなければならないケースもあるわけです。

そういう言葉の一つだと心得ていただければ、と願っています。

何事も定着するまでは不自然だったり、気色悪かったり、まどろっこしかったりします。
しかし、間違いは正す、より良き理解につながる表現に改める、これは必要なことだと思います。

日野原先生らの長年の努力で、「成人病」が「生活習慣病」に名を変えました。
それがより実態を表す言葉であり、実態を知ることが予防につながるという考えによってです。

私は、左利きの場合もそういうものだと考えています。

Posted by: レフティやすお | 2004.12.12 at 04:43 PM

わたしも左利きです。
正直、今まで嫌な思いが多かったですが、この文を読み少し考え方が変わりました。

Posted by: kinta | 2006.01.19 at 04:24 AM

kintaさん、コメントありがとうございます。
>少し考えが変わりました。
うーん、どんなふうに変わったのか、具体的にひとことでも教えていただければよかったかな、と思います。
心の持ち方としては、何事もポジティヴに考えて欲しいですね。

使いやすい手を使った結果が左手だった、というのが左利きの本質でしょう。
人により使いやすい手が違うのだ、そして、人は自分の使いやすい手を使えばいいのだ、ということをしっかりと認識していただければ、と願っています。

Posted by: レフティやすお | 2006.01.23 at 10:32 PM

私は左利きで箸もペンもすべて左です。確かに日常の細かいとこで不便を感じることはありましたが、とりわけたいしたことではありません。私の友達が右利きに『矯正』されましたが、かえって中途半端な両利きになってしまい余計苦労してます。個人のやりやすいのが一番いいんじゃないですか?右に治すのが負担になる人もいるでしょうし。持って生まれたものを治そうとすること自体『矯正』になるんじゃないんでしょうか

Posted by: エマ | 2006.02.01 at 05:09 PM

エマさま、コメントありがとうございます。
まったくその通りなのです。
中途半端に終わるのが一番怖いのです。

本来あるべき自分の姿、これが一番大事なのです。
生きていて心地よいのです。そして、一番力を発揮できるのです。

トマトはトマトのままがいいのです、メロンになろうとするのがまちがいです。
メロンの方が高く売れるかもしれないけれど、みんなが喜ぶかもしれないけれど、トマトにはトマトの値打ちがあるのです。
そしてそれは、メロンでは代替できないものなのです。

そこを履き違えないことが結局は本人のためになるのです。

Posted by: レフティやすお | 2006.02.01 at 11:26 PM

レフティやすお様。感情的に書いてしまって申し訳ありません。私も自然のままが一番いいんじゃないかと思うんです。以前バイオリン教室で「楽器に右も左も関係ない」と言われ、右用バイオリンを使わされて、大変な思いをしました。私は右にバイオリン、左に弓を持つ、逆の構えがしっくりきます。他の掲示板を見ると、左利きでも右でやるようにすすめています。その方が便利だからと。でもやっぱり自然に構えたときの持ち方でいいんじゃないかなぁと思ったんです。だから、左はなにかと不便だから〜と読んだときに、何でだよ!?不便かどうかなんて本人が決めることだろ!?何でそんなこと考えるの?って思ったんです。大変失礼な文章を書いてしまって本当にすみませんでした。

Posted by: エマ | 2006.02.02 at 03:35 AM

エマさんへ、
いいえ、決してまちがっていませんよ。感情的になってもいいんですよ。時にはね。
感情もまた大切にしなきゃ。自分が自分であるためには。

>不便かどうかなんて本人が決めることだろ!?

そのとおり!

右利きの人は右手で生活してるから、左利きだと不便だ(ろう)、と思い込むのです。
でも、なぜ自分は右手を使っているのかということが、「利き」という秘密の仕掛けによる作用であると理解できると、考えが変わるものなのです。
その辺の理解が足りないのだ、と私は考えています。

利き手っていうのは、心に直結してるものだと思うんですね。
人と話しているときに、ジェスチャーが入る。たいてい利き手ですよね。利き手が知らないうちに動いてる。

そういう意味では、楽器は利き手で演奏するのがベストだと思います。
なぜ右利きの人が右手で弦を弾くのか。
そのほうが心が伝わりやすいから、じゃないのかな? 
それなら左利きは左手でいいじゃないか!
そう思いますね。

Posted by: レフティやすお | 2006.02.02 at 11:29 PM

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