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2004.07.31

迷惑の量

左利きの問題を考えるとき、問題はふたつ在る。

ひとつは、ソフトの問題―人の心、周りの人の左利きの人に対する考え方、利き手に対する理解の度合い、左利きをどう思っているのか、左利きに対して悪い感情を持っているのか、ということ。偏見、差別といった意識の有無など。
ふたつ目は、ハードの問題―左利き用や共用できる道具や機械、設備がどれだけ整備されているか、ということ。

ハードの面は、ソフトの問題が解決されれば、それにつれて改善されてゆくだろう。

ソフトの面がまず問題になる。しかしこちらもだんだんと理解されつつある。
ところが、今ひとつ浸透しないのは、公の教育の場で明確な指導方針が示されていないからではないか。基本的に、その場その場で各担当者がそれぞれ自分の考えに従って指導しているだけなのではないか。これを改め、特に年配者に多い、左利きに対する偏見や間違った認識をなくさせていかねばならない、と思う。

そして、左利きの人自身も、自分に自信を持って自らの存在をアピールしていかねばならない。
これは障害者の問題でも同じことだ。


 障害者の中には「人に迷惑をかけるな」という教えを重荷に感じる人が少なくないらしい。現状で障害者が町に出ようとすれば、人の手を借りねばならない場面が往々にしてある。そんな時先程のことばが頭をかすめる。自分は人に迷惑をかけているのではないか、と。

「人に迷惑をかけるな」というが、人というものは生きている限り人に迷惑をかけるものだ。たったひとり山の中、あるいは無人島にでも住まない限り。人は社会生活を営んでいるのだから、人と関わらずには生きていけないのだ。だからこそ、人に「必要以上」の迷惑をかけるな、ということだろう。

 しかし、人は皆それぞれ持って生れたものが違う。また生きているうちに、事故にあったり、病気になったりして、生活のレベルが異なってくる場合がある。当然人との関わり方も違ってくるだろう。人に迷惑をかけることも多くなるだろう。それは仕方のないことで、病気や怪我がなくとも、年老いてくればからだは衰えてくるのだから。

「迷惑の量」というのが人によって変わってくる。いわゆる健常者と障害者では違ってくるだろう。単に背の低い人と背の高い人でも違うだろうし、声の大きい小さいでも違うだろう。
それぞれ各人には人に与えてもよい「迷惑の量」――許容量というものを持っていて、その枠のうちで、生きていけばいいのではないか。
 
左利きも同様で、右利きとではさまざまな違いがある。ものに左右の別がある限りついてまわるもので、右を立てれば左が立たぬ、という事態も起こってくる。
 そこで、人はそれぞれ「迷惑の量」が違うのだからと認め合って、お互いに協力し合えばよいのである。
そうすれば平和に共存してゆけるのではないだろうか。

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2004.07.29

左手できれいな字を書きたい、習いたい

最近の私のいちばんの関心事、それは字を書くこと。
きれいな字を書くことです。
もちろん「利き手」を使って書くことです。

ここまでは誰も不審に思う人はいないでしょう。
当然のことという人もいらっしゃるかもしれません。

たいていの人は字を書くときに「利き手」を使います。
その「利き手」はたいてい「右手」のようです。

しかし、なぜ「右手」を使うのか、を考える人は少ないのではないでしょうか。
気がついたら「右手」を使っていたという人が大半でしょう。

いや、「利き手」が「右手」だから、と答える方もいらっしゃるでしょう。
あるいは、「右手」で書くように教えられた、という記憶をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。


そこで、私はまた考えます。
「右利き」の人では「利き手」である「右手」で字を書くのは当たり前のことと考える人が多い。
また、(利き手である)「右手」で字を書くようにと教わったという人もいる。

然るに、「左利き」の人の場合はというと、(利き手ではない)「右手」で書きなさいと言われることがある。
実際に「右手」を使って書いている「左利き」の人も少なくない。

なぜなんだろう?
「右利き」の人が「右手」を使うのは理解できる。
しかしなぜ、「左利き」の人は「左手」を使ってはいけないのだろう。

「左利き」が「左手」を使うのは自然なことである。
なんら不思議なことではない。
『左利き用ボールペン字練習帳』なる本が出ているぐらいである。
(この本については、以下参照―)
2004.06.18『左利き用ボールペン字練習帳』再び
2004.06.03『左利き用ボールペン字練習帳』岡田崇花
2004.06.26『左利き用ボールペン字練習帳』「レフティサーブ」で紹介

それでも、字を書くときは「右手」でと考える人が少なくない。
ただそう考える人は、主に「右利き」の人である。
もちろん「左利き」の人でもそういう考えを持つ方もいる。
しかし、たいていそういう人は自分も「右手」で字を書いている人だ。

「左手」で字を書く人で、字は「右手」で書くほうがいいという人は少ないようだ。
そういう人はたいてい「左利き」なら「左手」で字を書いてよいという。
字は「右手」で書くものだ、というのは「右利き」の人の勝手な固定観念だと考えている。


さて、字は「右手」で書くものだ、という方が書を教える先生の中には結構いらっしゃる。
「利き手」に関わらず、字というものは「右手」で書きやすいように作られているので、これは「右手」で書くべきなのだ、と力説される方も少なくないようです。
きれいな字を書くためには「右手」で書くほうが良い、と親切そうに優しく薦める方もいます。
(2004.07.15の記事「左利きに関して最近腹が立ったこと:きれいな字を書く」で紹介したメルマガの先生や、
2004.07.26の記事「朝日新聞7.24「疑問解決モンジロー/左利きは生活しにくい?」」 の投書にあった例など。)

しかし、これも私には理解できません。

本来、字というものが発明されたときには、どちらの手で書きやすいようにしようとか考えていたとは思えないのです。
まず、言葉を書き表す方法を考えたのであって、字形が整えられたのは後の世であろうと考えるわけです。その後多くの人がより書きやすい、より覚えやすい、よりきれいに見える書き方を編み出して、次代の人に教え伝えていったのだと思うのです。
そしてその当時は、現代のように万人の技術ではなく、特定の階級に属する人たちの特別な技術であったと思うのです。
当然の結果として、ひとつの流儀や作法といった考え方が出てきてもおかしくないわけです。
しかし、今は状況が変わりました。字を書く技術は一部特権階級の独占物ではないのです。万民のものとなりました。誰でも必要な技術です。誰もが書けるものにすべきなのです。

―といったことは今までにも、さんざん書いてきました。


今回は、別の見方も考えてみましょう。
百歩譲って字は「右手」で書くものだとしましょう。

しかし、「右利き」の人にとっての「右手」と、「左利き」の人にとっての「右手」ではその間に大きな隔たりがあるのです。
「右利き」の人はそのへんを正しく理解しているように思えません。
「左手」に対してはそのような感覚をお持ちのようですが、こと「右手」に関してはどうも違うようなのです。

「右利き」の人には、「左手」でできることとできないことの違いの認識は十分あるようです。
ところがこの考えが、しばしば「左利き」の人のそれにまで影響を及ぼしているようなのです。
すなわち自分が「左手」でできないことは、「左利き」の人にもできないのではないかと考え、それができると知ると心から驚くのです。
「まあ、器用ね」と。
私たち「左利き」にとっては当然のことなのに。「左利き」だからできるのであって、それが「左利き」というものなのに。

そこには、自分たち「右利き」にとって便利で使いやすい手である「右手」は、左利きの人にとっても便利で勝手のいいものだという思い込みがあるように思われるのです。
その便利な手があるにもかかわらず使おうとしない「左利き」の人はずいぶん意固地で変わり者というふうに感じている、のではないでしょうか。
文句を言う前にまず使ってみなさい、こんな便利なものはないよ、という感じが漂ってくるのです。

その点が私は好きになれません。
自分の思い込みを人に押し付けてくる、それも大人が子供に。
ものを教える先生が教わる生徒に向かって。
強い立場の人が弱い立場の人に。
これでは、気の弱い人、素直な人は従わざるを得ません。
そういう卑怯な態度が許せません。
それを卑怯と思わない態度が許せません。

もし仮に字は「右手」で書くのがベストだとしても、「右手」が使いやすい手ではない、非「利き手」である「左利き」の人は「利き手」の「左手」で書いても良いのではないでしょうか。
そして、そういう「左手」で字を書く人のために、「左手」でも(「右利き」の人が見て)きれいな字が書ける方法を考えてくださる先生がいても良いのではないでしょうか。そういう方法を工夫し、教えてくださる先生がいても良いのではないでしょうか。

これが本日の結論です。

*2008.4.30追記* 左手書字について―
・『左利きを考える レフティやすおの左組通信』
「左手で字を書くために―レフティやすおの左利き私論4―」
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
「左手書字の研究―実技編」(2008年より第三土曜日発行分に掲載)

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2004.07.26

朝日新聞7.24「疑問解決モンジロー/左利きは生活しにくい?」

朝日新聞7月24日朝刊「疑問解決モンジロー/左利きは生活しにくい?」という記事が出ています。
(以下、要約)

5歳の息子さんを持つ親御さんからの投書
保育園における字の練習で、「左利きのままでいいか右に変えるか」と尋ねられた。来年上る小学校には「絶対右で書くように」という先生がいる。早いうちに右にしたほうが良いか。左利きは生活しにくいのか。大半の人が右手で字を書くのは日本だけなのか。

記事の内容
見出し「無理に変える必要なし」
―サイドバーの「左利きの本」に書名を挙げている「左利きの神経心理学」の著者、名古屋大学の八田武志教授の話を中心に。横綱朝青龍の左手刀。左利きの割合(左利きの女性=73年:2.3%→93年:4.2パーセントに増加。台湾では左利き1%)など。

見出し2「増えつつある専用道具」
―インターネットの文房具店「菊屋」の左利きコーナー商品紹介、浦上裕生さんの話。左手用と右手用がある鉛筆の持ち方練習用具「もちかたくん」のトンボ鉛筆の話(「はしのおけいこ両手用」を発売するという)。100円ショップのダイソーの左利き用ハサミの話(年間1万6千個売れている)など。
結局、投書のお子さんは左手で字を習う、という。
―モンジローの感想で締めくくり


それにしても、である。
確かに、左利きの問題を啓蒙する記事が出ることは、喜ばしい。
しかし、その発端がこのような相談である点が、情けない。
未だにこういう手の話が大新聞の記事になるということに、大いに憤りを感じます。

左利きの子に右手で字を書くようにさせるかどうかという、こんなことが問題になること自体、日本の恥というもの。
いかにレベルの低い人間が多いかの表れと、私は思います。

左利きもしくは利き手というものに対する一般の人(特に右利きの人)の認識の低さ、に愕然とします。
あまりの情けなさに言葉もありません。

私は、左利きもしくは利き手の問題を人権の立場から考えています。
日本国憲法には、基本的人権の尊重が謳われています。
然るに左利きにおいては、まだまだその人権が守られているとは言いがたい状況がこうしてあるのです。
何が、どういう点が具体的に侵害されているかを明らかにして、その人権の回復を図らなければならないと考えます。

私のこの考えを、大袈裟だ、という人もいます。たかが左利きごときに、人権の何のというのは、行き過ぎだというのです。
しかし本当にそうでしょうか。

一人の人間を個人として尊重するという基本的な人権の考えに立ち、左利きもしくは利き手の問題を考える必要があると思います。同じ考えで子供の教育にも当たる必要があると思うのです。

利き手の問題というのは、単なるわがままや無作法といった観点に立つものではないのです。
その点をもう一度、再考していただきたいものです。

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2004.07.24

左利きに関して最近うれしく思ったこと

記念すべき101本目の記事なので、明るい話題うれしい話題を、と思い、こんなお話を―。

以前7月4日の記事「「ココログ全文検索/重要度順・記事別」で「左利き」の上位にランク」で、私事ながら左利きの記事が上位にランクされていることをうれしいと書きました。
しかし、私個人としてはうれしいものの、利き手による差別のない社会の実現をめざして左利きの問題を訴えたいと考える立場から言うと、左利きの話題を書く人が少ない、記事そのものも少ないことに、寂しさを感じていました。
これでは、いつまでたっても左利きの問題が解決される可能性が広がりません。何とかならないものかと考えていました。

ところが、最近のココログでなぜか左利きネタの記事が目立つように思います。
どういう動機であれ、左利きについて考える人が増えたのならそれは素直に喜びたい。特に右利きの人で左利きについて語る人がいるのがまたうれしいものです。

他のサイトなどでも、チラホラそういう人が目に付きます。単なる学生さんの論文のネタにしろなんにしろ、左利きもしくは利き手について考える人が増えていると思える状況は、私にはこの上なく頼もしく感じられます。

これからも一過性でなく、ふざけ半分からでもいい目立ちたいだけでもいいから、左利き・利き手について書き続けて欲しい。そういう人が一人でも増えて欲しいものです。

そんな流れの中から、左利き・利き手について真剣に社会の問題として取り上げる人々が現れ、時代を動かすようになってくれれば幸いです。

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2004.07.21

サランラップにおけるユニバーサルデザインの試み

記念すべき100本目の記事なので、うれしい内容のものを、と考えていました。そこで、きょう知ったばかりのこういうお話を―。

いつからかはわかりませんが、サランラップの「ココを押さえて切ってください」の親指押さえマークが、「右親指」と「左親指」の二つ表示されているそうです。

上手な切り方の説明の欄にも「右手で箱を持つ場合は右親指マークを押さえる」と書かれているといいます。

旭化成のサランラップのホームページ

をのぞいてみると、

「ユニバーサルデザインの新パッケージ。ここが違います!」

として画像入りで紹介されています。
ちょっと読み取りにくいのですが、「右親指」と「左親指」の二つの親指押さえの位置を示す親指マークが確認できます。

HB01pho6.jpg
親指の位置表示 スムーズにラップを切ることができる親指の位置を表示しています。

ユニバーサルデザインへの取り組みの一環として、左利き/左手使いに対応しているようです。
ホントうれしいですね。

だんだんと良い流れになっています。
この流れに掉さすように、みんなで競ってこのような取り組みを積極的に取り上げ、応援してゆきたいものです。

(ちなみにクルリちゃんのCMがかわいいクレラップは、左右の別なく親指位置表示です。)

*上記ホームページから―

弊社のユニバーサルデザインへの取組み
ユニバーサルデザインとは、一つの製品設計ですべての人が利用できるように最大限に配慮された、製品や環境のデザインのことです。弊社は、これまでもお客さまの視点に立った製品づくりを行なってまいりましたが、このユニバーサルデザインの考え方をより一層大切にしていくことがすべての人にやさしい社会の実現につながると確信しております。この目標のため、弊社は独自のユニバーサルデザイン憲章を制定し、今後も、すべてのお客さまのよりよい暮らしに寄与する製品を提供し続けてまいります。

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2004.07.18

第6回アンケート「生まれ変わってくる時は右利きor左利き?」のお知らせ

今月7月18日より、「レフティやすおの左組通信」でまた新しいアンケートが始まります。第6回は「生まれ変わってくる時は右利きor左利き?」です。

(前回は今ひとつ投票数が伸びず、初めて30台で終わっています。今回はもう少し多くの御投票がいただけるよう、ぜひともご協力をお願いいたします。)

この次生まれ変わってくるとしたら、貴方は「右利き」それとも「左利き」のどちらが良いと思いますか。
右利きの人はやはり「右利き」でしょうか。それとも左利きにあこがれていたから「左利き」の人生を、と望まれますか。
一方、左利きの方はどうでしょう。不便な思いをすることのない「右利き」でしょうか。それともやはり「左利き」が良いと思いますか。
いずれかひとつを選んでお答えください。

*投票者の利き手別で選択肢を用意しています。ご自身でご自分の利き手を右もしくは左と、どちらか判断した上で投票してください。

*一言言わせて、というお方は投票後に表示されます一番下の「ご意見ボード」をご利用ください。もっと言わせて、というお方は掲示板もご利用ください。貴方のご意見ご感想をお聞かせください。

1(右利きの人)「やはり右利き」
2( 〃 )「今度は左利き」
3( 〃 )「どちらともいえない」
4(左利きの人)「やはり左利き」
5( 〃 )「今度は右利き」
6( 〃 )「どちらともいえない」


過去に実施したアンケート
第1回 左利きイメージ調査
第2回 左利きで困ったこと(物理的バリア編)
第3回 左利きの子に右手使いを試みるか否か
第4回 貴方の好きな左利きの呼び名は何ですか?
第5回 左利き?と思うのはどんな仕草ですか

それぞれの詳細、結果は「レフティやすおの左組通信」の「左組通信」「左組通信2」「左組通信3」でご覧ください。


こんなアンケートを実施して欲しいというリクエストがございましたら、お気軽にお申し出ください。

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2004.07.15

左利きに関して最近腹が立ったこと:きれいな字を書く

怒りのままに書いてみます。

あるメルマガのうたい文句
「文字は練習すれば必ず上達します。小さいうちにきちんとした基本を身につけましょう。」

なかなか気を惹く文章です。誰でもきれいな字を書いてみたいもの。そこで内容をのぞいてみると…。

このメルマガの「お便り質問コーナー」での左利きのママさんからの質問とそれに対する回答が出ています。

〈娘は左利きなのです。二年生になり字を書く事も多くなってきたのですが、やはり書きずらそうにしておりますので、なにか左利きの人へのアドバイスなどありましたら〉
  「ご質問の左利きですが、最近は矯正しないほうがいいという意見が多いようです。ただきれいに書くという点では左手ではむずかしいでしょう。文字は軽い「右上がり」に書くと安定しますのできれいに見えます。左手ではどうしても右が下がってしまうのです。私は教室で幼児も教えていますが小さいうちでしたら抵抗なく右に変えられると思います。無理強いするのではなく、字は右手で、絵は左手でとするとストレスも少ないようです。左利きはとても有利なことが多いので、その特徴は伸ばしてあげましょう。文字だけ右手で書いてみたらいいと思います。両手が使えるようになり便利ですよ。」
〈徐々に変えていけるものなのか、ぱっと変えて頑張った方が良いのか悩んでおります。〉
  「これはとても難しい問題です。お子さんの性格によるという事でしょうか。書き始めるときは右手で。いつの間にか左手になっていたら気付いた時にまた右手に。こんな感じで十分だと思います。無理強いするとストレスになり逆効果です。文字を書くのが嫌になってしまうと大変です。」

=私からの反論=

>ただきれいに書くという点では左手ではむずかしいでしょう。文字は軽い「右上がり」に書くと安定しますのできれいに見えます。左手ではどうしても右が下がってしまうのです。

貴方が、左手書きできれいに字を書く正しい方法を知らないだけなのではないでしょうか。そういう教え方を研究してこなかったという怠慢振りを言い逃れしているだけのように感じました。
貴方は精神科医箱崎総一氏が主宰した左利き友の会が開発した左きき筆法をご存じでしょうか。
また最近出版された『左利き用ボールペン字練習帳』という本のことはご存知でしょうか。
お習字の先生方の間でも左手書きを容認される方が増えています。生徒さんと共に書き方を工夫されている先生もおられるそうです。

(左手書きの場合は、少し右下がりで用紙を置きます。そして普通に書いてゆく。できたものを真っ直ぐに見ると、自然と右上がりの文字になります。右利きの人では普通逆に左を少し下げておきます、ちょうどその反対ですね。
 こちらでは紙は真っ直ぐ体の中心に置く、と指導されています。そのほうが真っ直ぐに見えるから小さい子や、字を習いたての人にはわかりやすいという判断でしょう。
 しかし、ハンデのある人がちょっとした工夫を入れるのは決して邪道ではないと思います。)

いかにも左利きのことは知っているようなお言葉で説明されていますが、何のことはない単なる右手使いへの変更を強要しているだけの旧態依然の教育方法とお見受けします。
右手で書くことできれいな字が書けるのなら、どうしてこれほど右利きの多い世の中であるにもかかわらず、きれいな字を書きたいと悩む方が多いのでしょう。右利きの人が右手できれいな字を書くだけでも大変なことなのに、左利きの子に利き手でもない右手で字を書くことを強要するような態度は納得がいきません。
両手が使えるようになり便利ですよ、とも書いておられますが貴方ご自身は左手でも右手でもお書きになれるのでしょうか。左手でも書けるが、よりきれいな字を書くためには右手の方が良いので右手で書いておられるのでしょうか。

本当に利き手について、左利きの人について勉強されたことがあるのでしょうか。 
単に何例かの経験からのお言葉に過ぎないのではないでしょうか。またその子たちがその後どのような生活をしているのか追跡調査などされているのでしょうか。 また本当にその子たちが左利きであったのか、いわゆる両利きではなかったのか、あるいは一時的に左利きに見えるだけだったのではないでしょうか。
無理にさせるのではないとおっしゃるかもしれませんが、子供は親やまわりの大人が喜ぶ顔を見たい一心で努力するのではないでしょうか。それをいいことに自分たちの思うように不当に子供に圧力をかけるのはどうかと思います。

さらにいうと、右手が不自由な人は一生きれいな字は書けないということでしょうか。強度の左利きの人の場合もそうです。いくら努力してもやはりできない人がいるでしょう。そういう人は一生その不幸を背負って行けということでしょうか。

私は間違っていると思います。誰でもきれいな字が書けるそういう方法を研究する努力をしていただきたいものです。

もし貴方が看板を上げるとするなら、右手できれいに字を書く方法を教えます、と書くべきです。
それなら私も納得いたします。

私は謙遜していうのですが、決して美しい字を書くとは言えません。しかし、小学生のときに先生から字がきれいだから書記をやって、と言われた事があります。左利きで人前で字を書くことが嫌だったので、結局この役は逃れましたが、ひそかな自慢でした。(ひょっとしたら、うまく先生に乗せられただけかもしれません。自信を持たせてあげようという作戦だったのかもしれません。もしそうなら素晴らしい先生ですよね。立派な教育です、貴方の方法とは違って。)

気を入れて書けば、かなり見栄えのする字を書けると思っています。ただし、鉛筆もしくはボールペンといった筆記具に限るようです。筆はもちろん筆ペンは今ひとつです。左手用の万年筆を使っているのでこちらはかなりいいかもしれません。

きれいな字を書くコツは確かにあります、それをうまく習得すれば、右利きであろうと、左利きであろうと、右手であろうと左手であろうと、いえ足であろうとなんであろうと、書けるのです。

そういう書を教えてくださる先生になって頂きたいものです。

人にものを教える立場の方には、それに応じた社会的責任というものがあると思います。それを十分自覚して、発言していただきたい、指導に当たっていただきたい、と心から願っています。

何人も不幸にすることのない、立派な教育を考えてください。単に字を書くことを教えるだけであっても、です。

*2008.4.30追記* 左手書字について―
・『左利きを考える レフティやすおの左組通信』
「左手で字を書くために―レフティやすおの左利き私論4―」
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
「左手書字の研究―実技編」(2008年より第三土曜日発行分に掲載)

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2004.07.13

原田泰夫九段、逝去

将棋の原田泰夫九段が7月11日の午前3時48分、間質性肺炎のため逝去されました。享年81歳。

昨年盤寿(81歳)のお祝いをされたそうで、まだまだご意見番としてご活躍を期待していましたが、大変残念ことです。

私は同名(やすお)のよしみもあり、先生の産経新聞での棋聖戦観戦記を愛読しておりました。初心者にも非常にわかりやすい解説で、心から将棋に親しめました。これにより「三手の読み」など数々の教えを受け、大いに将棋の腕を上げたものでした。そういう意味で私の将棋の師であります。

テレビなどで拝見するときはいつも決まってお着物で、日本の伝統を一身に背負う棋士の鑑といったところ。いえいえそんな気負いを感じさせないくつろいだ風情で、お名前同様泰然とした紳士という感じでした。
司馬遼太郎と同じ年ということで、司馬先生もご健在であればこのようなお姿であったか、と思いは尽きません。

1923(大正12)年3月1日生まれ、新潟県西蒲原郡分水町出身。1937年、棋士を志し14歳で上京、(故)加藤治郎名誉九段門下、1944年四段、1949年八段、1951(昭和26)年~1957(昭和32)年までA級連続7期、その後1971(昭和46)年49歳でA級復帰(昭和47年まで)、1982年4月引退、1982年11月九段。1956年度第6回NHK杯戦ほか優勝3回。
1961年~1967年まで3期6年にわたり、将棋連盟会長。1969年~1971年まで将棋連盟相談役。1997年より将棋連盟顧問。
1982年秋「藍綬褒章」受章。1996年春「勲四等旭日小綬章」受章。
攻撃的な棋風で知られる一方、解説などでみせる軽妙な語り口は“原田節”と呼ばれ、人気を集めた。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。

*資料参照―日本将棋連盟のホームページお知らせ その他各社ニュースより 

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2004.07.11

電気に触れるときは右手にしよう

「左手マウスのすすめ」では、右利きの人も左手を使おうと提案しましたが、今回は逆に左利きの人も右手を使おうという提案です。

私は若いころ塗装の仕事をしていました。工場内で機械を使っての家電部品小物の塗装で、その機械のオペレーターをしていました。
この機械はミニベル式静電塗装機と言って、高速回転するおわんのような形状の噴出口(ミニベル)の縁から遠心力とエアーの噴出力とで塗料が細かく飛び散って一定範囲内の製品に付着するのです。
そして、このミニベルには数万ボルト(だったか?)の静電気がかけられています。この高電圧の静電気がミニベルからハンガーによりアースされている塗装する対象である品物に向かって飛んでいて、その電気の流れに塗料が引かれて飛び吸着するという仕組みです。
エアーの力と塗料の吐出量をコントロールして、噴射範囲を制御しながら塗装してゆくわけです。
(ずいぶん昔の記憶なので、説明に間違いがあるかもしれません。)

あるときこの高電圧にもろに感電しました。
左利きゆえ左手にブラシを持ってミニベルを掃除していたところ、時間になったので誰かがスイッチを入れたのです。
本来は、点検や整備の際、機械に手を触れるときはアース棒をかけて、安全を確保するのが正しい使い方なのですが、あわてていたため忘れていたのです。

ブラシを持つ左手の指先から体の左側を通り、足に抜けていきました。
生れて初めて、心臓の存在を意識しました。心臓がまさにブルブル、いや、ビクビクだったか、しました。その場にしゃがみこんでしまいました。
電流が心臓を直撃したのです!
もちろん直ちに安全装置が働き、瞬時に電源が落ちるので、死にはしませんでしたが…。
とはいえ、心臓の弱っている人だっだらどうだったでしょう。

一般家電品でも、左利きの私はつい左手でプラグの抜き差しをします。これも危険といえば危険です。

昨今の家電製品などの差込プラグは皆一体整形になっているので、よほど無茶な使い方をしないかぎり、長年の使用で電線が金属疲労で断線することはあっても、プラグが毀れて感電するというようなことはなくなりました。
しかし昔は、コンセントに差し込むときや引き抜くときに、たま~にこの差込プラグが毀れて感電することもありました。
また、毀れないまでも、水に濡れた手でふれたりして感電する場合もあります。

というわけで、

教訓:電気に触れるときは右手にしよう。

(正確には)電気に触れる可能性のあるときは、もしものときに心臓のある左側を電気が流れないように、左手ではなく右手で扱うようにしましょう。

「感電死の80%以上が体の左半、とくに左手からの感電ということは心臓障害の多いことを示していよう。」
「家電探求記/家電用語集/感電」より

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2004.07.09

『貧者の晩餐会』イアン・ランキン

イアン・ランキン『貧者の晩餐会』BEGGARS BANQUET (C)2002 延原泰子・他訳 ハヤカワ・ミステリ 2004.3.15刊


今年、桐野夏生の『OUT』がノミネートされて話題になったMWA(アメリカ探偵作家クラブ)賞を『甦る男』で受賞した、リーバス警部のシリーズでおなじみ、イギリスのミステリ作家、イアン・ランキンの短編集。

リーバス警部の活躍する7編を含む21の短編が収録されている。良きランキン入門書ともいうべき本。ふだんは分厚い長編ばかりでつい手が出なかったという人もこれなら気楽に読めるだろう。
個性的な警部リーバスものの謎解きもいいし、それ以外のミステリ短編もひねりといい落ちといい、大いに楽しめる。身の回りにあるネタを鮮やかに切り取って、切れ味鋭く人生の一断面を見せてくれる腕はすばらしい。

私の好みは、「唯一ほんもののコメディアン」(これは怖い)「深い穴」(ダガー賞最優秀短編賞受賞作/自信を持った"おれ"はどうしたんだろう)「自然淘汰」(最後の逆転が…)「不快なビデオ」("夫と妻にささげる犯罪"ものは数々あるが…)、リーバス警部ものでは「一人遊び」「聴取者参加番組」「イン・ザ・フレーム」といったとこか。

33p-「一人遊び ―リーバス警部の物語―」延原泰子訳

〈自分は正しい、正しい行動を取ったという満足感があったとはいえ、それと同時に、自分を救いがたい卑劣漢であるようにも感じた。それどころか、自分の母親に刑を言い渡したようにすら感じていた。〉

「正義」というものは難しい。自分の信じるところを貫くしかないのだろう。
私も自分を信じ、自分の信ずる道を歩んでゆこうと思う。

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2004.07.07

左利きの本だなぁ『左ききの本』マイケル・バーズリー

~歴史的社会学的左利き研究書~
マイケル・バーズリー『左ききの本』西山浅次郎訳 TBS出版会(発売・産学社)昭和48(1973)年4月25日 第一刷発行


約30年前に発行された本で、原著は1966年発行(翻訳の底本は1969年のペーパーバック)で、38年前という時代もの。
著者は左利きのイギリス人で、当然のことながら、イギリスの話題が多くなっています。
カバーの折り返しに、〈十四年間の研究をもとに書き下ろした左きき問題研究の決定版〉とあり、なるほど労作ではあります。
しかし残念ながら、月日というものはかなしいもの、現代日本の左利きの人が読んで役立つ内容のものとは言いがたいものになっています。

ただ、欧米(特に、イギリス)における左利きの人が置かれていた歴史的状況を知る資料としては大いに価値があるといえるでしょう。特に、英語における「左利き」を表す言葉にある偏見に満ちた悪い意味、またキリスト教における「左」に対する偏見、ギリシャ・ローマ神話における左利きの話題、占いや魔術における「左」の意味といったことについて興味のある方にはおもしろい本でしょう。

私が興味を持ったのは、なじみのある名も出てくる、おしまいの方の数章。
ここには実際の左利きの人達の左利きゆえの生活上の困難の数々、偏見から来る差別の実態(特に教育の面での)が紹介されています。

過去の差別の実態を知ることにより、今を生きる左利きの人の「少しは恵まれた状況」がいかに貴重なものであるかがわかってきます。社会の変遷が見えてきます。
脳神経科学の研究の成果が左利きの成因を少しずつ解明してきたことで、迷信や偏見を払拭し、左利きの人権を考えられるようになって来たという歴史が明らかにされています。

左利き文化史を考える際の貴重な資料のひとつです。


―読書ノートの感想から―

 それにしても、「専門家列伝」中のエイブラム・ブローという精神医学教授の考えはひどい。1946年の論文とはいえ、左利きを遺伝的な生来のものではなく、〈左ききは伝統的な右ききの習得の失敗の現われ〉で原因は三つ、〈生来の欠陥、誤った教育、または反抗的感情〉だという。(313p)
そして三番目の原因がもっともふつうの左利きのタイプで、〈幼児期の精神神経症の徴候〉で〈反抗的左利き〉という。〈右ききの習得に対する反対の感情から生れる〉という。
 左利きは〈幼児の反抗的態度〉で、〈不十分なはけ口しかもたない幼児が表現することができるに置いての全般的な強情〉のようなものだという。
 このように、偏った考えが発表されるのは非常に厄介である。
 法廷での反対尋問で、不適切な発言で記録から抹消するように、と判事が答えるような場面がドラマなどでよく見られる。ところが、結局はその発言が人の心に残り、印象を変えてしまうことになるのだ。
 まさにそのように、このような偏った、誤った考えが社会をミスリードし、偏見を助長する結果になってゆくのだと思うと、やりきれないものがある。
 とはいえ、これは今だから言えることであって、当時は納得するにたる最新の学説であったのかも知れないが…。


時代を経たものを読むときには注意が必要である。当時の常識が現代でも通用すると勘違いしてはいけない。それはわかっている。
また現代の基準で昔のことを裁くのも良くない。当時は当時なりの知識や考え方、倫理観や価値観、世界観といったものがあり、それを現代人が今の感覚であれこれ言うのは間違いである。
科学的事実というのも、そういうものだ。当時の科学の水準では事実とされたことが、その後の科学の進歩で覆されることはままあることである。
だからこそ常に最新の情報に基づいた判断をしてゆかねばならないのである。


26章 筆跡―左ききの字
276p〈書くことが労苦となる〉
(マーガレット・クラーク博士)

〈「左手で書くことは右手で書くのをただ手を代えて書くということと同じではない……多くの学校では左手で書くのを教えるのではなく、ただ黙認しているだけである。」〉
〈右手で書こうと自分から努力してみても、失敗すると、左手で書くのは汚名のように考えてしまうのである。左ききの子どもが字を書くにはゆっくりしか書けないし、手の疲労も大きいことは確かであろう。これは字を書くという肉体的行為のせいだけではなさそうでもある。E・L・トラヴィスが指摘するように、他の人の書き方と違うというひそかな恥辱感と社会的不安があるのである。ウィリアム・ブレイクは黒人の少年について、

なぜ僕はみんなと違う顔に生れたのか?
他の人と同じようになぜ生れなかったのか?
と歌っているが、「顔」を「手」に置きかえれば、その思いはまったく同じことになる。〉
(当然だが、ここでは漢字を含む日本の字ではなく、英語のアルファベットの字の書き方のことを言っている。筆記体では左から右に横に綴らなければならないので、左手では押してゆく形になり書くスピードは落ちるだろう。)

280p(コール女史、左利きの子どもの教育)

〈右ききの子どものために適した習字のやり方で教えられる〉
〈「不適当な教育法の罪のない犠牲者」〉
〈左ききの子どものもつ特殊な条件を認めるだけで、このような結果を大いに避けることができる。ペンの持ち方にもさまざまある。〉

(左手用の万年筆ができ、ボールペン、フェルトペンが出現し、左手で書く状況が大きく変わった。インクつぼもペン先も不要になった。速乾性のインクとペン先のやわらかい筆記具のおかげで、紙を汚すこともダメにすることも少なくなった。)

*参照―『レフティやすおの左組通信』「左利きphoto gallery〈HPG2〉左利きの本だなぁ」

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2004.07.04

左手マウスのすすめ

今パソコンのマウスはどちらの手でお使いになっていますか?
右手? それとも左手?
今貴方は、肩がこるとか首が痛いなんていうことはありませんか?

というわけで、左手マウスのオススメです。
何も私が左利きだから、その擁護のために言うのではありません。
また左手使いを増やそうという単純な動機からでもありません。
それどころか私は今マウスを左から右に変えたぐらいです。理由は左肩痛。マウスの使い方に問題があったのではと考えています。
(私の使っているのはノートパソコンですので、右マウスでも比較的からだへの影響は少ないようです。)

私の右マウスはもう半年ぐらいになります。
当初はまったくといっていいぐらい狙ったところにポイントできず、何度もしくじったものです。それでもエライモンでしばらくするとある程度使えるようになってきます。
このWeblogのサイドバーの上に表示されている画像(にんじんだもの)を描いたのが右手マウスです。1週間から10日もあればこれぐらいは十分使えるようになります。
問題はスピードと正確さを同時に要求される場合で、これは利き手に勝るものはないでしょう。
ともあれ、ある程度は訓練で何とかなるようです。
2ヶ月ぐらいで大体問題なく使えるようになったようです。

いよいよ本題です。
「左手」でネット検索していて見つけた整体の先生のサイト「カイロで健康」のなかで発見したのが、これ。

肩凝りや首痛の対策には、左手マウスをおすすめします。
左手マウスなら、両手で作業でき、作業効率アップ 作業時間の短縮 筋肉疲労の軽減 ができます。

デスクトップタイプのパソコンでテンキー付キーボードを使っている場合、そのさらに右側にマウスを置くことになります。こうしますとキーボードの中心から遠い位置にマウスが来てしまうために、右腕の使い方に無理が起き、体の不具合につながるといいます。
そこで左側にマウスを置くとこれらの問題が解決できます。
しかも、両手を使った作業ができるようになり、作業の効率がアップし時間短縮になるともいいます。
まさに、いいこと尽くめ。意外なところに意外な利点がある、というお話です。

考えて見れば、昔から腕のいい職人といわれる人は、みな両手の使い方の優れた人だったのではないでしょうか。
現に自分の身の回りでも仕事が早いといわれる人を見ていると、単に手の動きが早いというだけでなく、効率よく両手を使いこなしています。
たとえばキーボードによる入力でもそうではないでしょうか。できる人は両手をすばやく動かしている。片手で操作する人ではそうは行きません。
しかもエンターキーやテンキーが右についているのなら、その間あいている左手をマウスに使えば、グッとスピードアップにつながること請け合いです。マウスを使いながらメモだって取れます。
それで健康にもつながれば、一石二鳥というもの。


次に派生する問題は、設定をどうするかでしょう。左右のクリックの設定を入れ替えるべきかどうか。
まだまだパソコン初心者の私にはなんともいえません。専門家にお聞きするしかありません。

初心者は解説書などを首っ引きする際に混乱しないように、そのままのふつうの設定のままがいいでしょう。そして、慣れてくれば入れ替えてみるのもいいかもしれません。

共有パソコンの場合はひとりでは決められませんし、相談してみるべきでしょう。

しかし、JSCのMLで見た「かーしま」さんという方のご意見によると、右クリックより左クリックの方がより多く使うにしても、真ん中にホイールがついているものでは、ホイールの操作は人差し指が便利で、設定を変えずに、人差し指では右クリックとホイールを、中指では左クリックを振り分けて使う方が効率的だ、ということです。共有の場合でも、これなら設定はそのままで位置だけ変えればいいので便利です。

まあ、設定はともかく、この左手マウス、右利き左利きに関わらず、実行してみる価値大いにありと思います。

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「ココログ全文検索/重要度順・記事別」で「左利き」の上位にランク

私事で誠に申し訳ないのですが、正直なところ“自慢話”です。(笑)

「ココログナビ」の「ココログ全文検索」「重要度順・記事別」という項目が加わったというので、「左利き」というキーワードで検索してみました。
なんと上位にズラズラッと私のところの記事がランクされています。検索結果上位20件中13件も登場します。(2004年7月4日11:00現在)

*(最新版「ココログ全文検索/重要度順・記事別:左利き」) 

左利きの本だなぁ『左利きの本―右利き社会への挑戦状』ブリス、モレラ from レフティやすおのお茶でっせ

左利きの本だなぁ『左利きの秘密』箱崎総一 from レフティやすおのお茶でっせ

「左利き」表記は左利きに優しいか? from レフティやすおのお茶でっせ

左利き用ハサミって?―『とんちんかん道具館』より from レフティやすおのお茶でっせ

左利きのよいイメージを訴えてゆこう from レフティやすおのお茶でっせ

―以上が上位5傑です。

(この検索結果には2種類あるようで、5p建ての場合です。2p建てのものではまた違った結果が出て、こちらでは上位20件中8件です。)

「左利き」あるいは「利き手」について、この半年それなりに気を入れて書いてきたつもりでしたが、こうやって出てくると少しうれしく思います。いやいや本当のところは大いに満足しています。

「左利き」というキーワードの入ったタイトルを中心に機械的にピックアップしているだけなのでしょう(ホントのところはどうか存じません)が、それでもうれしいものです。

これでまたやる気が出てきました。現金なものです。
でも、たまにはこういうところで喜ばないと喜ぶチャンスなどそうそうありませんものね。
続けてよかったとしみじみ思います。
また喜ぶ機会ができるように、これからも努力してゆきます。

いい遅れておりましたが、ここまで来れましたのもひとえにこの半年推定およそ1万件あまりのアクセスをいただきました皆様方の御支援の賜物と心より感謝しております。誠にありがとうございました。
そしてできますれば、これからも変わらぬご支援をいただけますようお願い申し上げます。
 

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2004.07.02

復刊された『グラント船長の子供たち』

ブッキングから『グラント船長の子供たち』上・下 ジュール・ベルヌ作 大久保和郎訳 各巻2625円 が復刊された。
(復刊ドットコム 『ジュール・ヴェルヌ』 復刊特集ページ)

 
6月30日、フラッと本屋に行ってみると、なんとジュール・ヴェルヌの本が棚にあるではないか。一瞬目を疑ったが、確かにそうだ!
「没後100年」と帯にあり(来年2005年で)、復刊版だという。なるほどそういうことか、と思う。そうでもないと出そうもないものね。今時ヴェルヌの新刊本なんて。
内容は、昔、60年代の後半に集英社から出ていた全24巻の〈ヴェルヌ全集〉に収録されていたもので、のちに旺文社文庫に収められていたもののようだ。
(今思えば惜しいことに、この旺文社文庫版を持っていたにもかかわらず処分してしまったのだ! スペースがなかったとはいえもったいないことをした。もっと他の何かを捨てるべきだった。)

欲しいのだが、文庫派の私にはちとツライ。四六版のハードカバーで、おまけ(本書の履歴や解説の類)もない。イラストは知らない人が描いていて、昔のふんいきがない(集英社が文庫版のヴェルヌ・コレクションを出したときもそうだったが、新しい読者を開拓しようというのだろうが、これは違うと思う)。

やはりヴェルヌの本といえば挿絵が命だと思う(少なくとも私にとっては)。あの原書のエッチングによる銅版画のイメージがあって、原書の挿絵でないにしても、それ風のものがいい。
お話だけなら電子書籍が色々出ているようで、それでもよいのだ。本として持っていたいのは、プラスαがあるからではないか。

幸い復刊リクエストでも先にあげた〈ヴェルヌ全集〉が100票をクリアしているので、いずれ復刊の可能性も無きにしも非ずであるが、復刊するなら当然当時のイラスト―というよりここはやはり「挿絵」と呼びたい―でお願いしたいものだ。

―と言いつつ、この本、買うのかなぁ。どうしよう?

グラント船長の子供たち〈上〉〈下〉(旺文社文庫 1977年)

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