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2004.05.31

『見えないグリーン』ジョン・スラデック

『見えないグリーン』 INVISIBLE GREEN ジョン・スラデック 真野明裕訳 ハヤカワミステリ文庫 1977年作


娯楽のための読書の本である。

本格ミステリ、本格推理小説、本格探偵小説、などと呼ばれる本格もの。そのなかでも特に本格モノのファンが喜ぶ密室ものを扱った連続殺人もの。この密室ものの長編小説としては、世界的に有名な一冊である。

SF作家スラデックが書いた私立探偵サッカレイ・フィンの登場する本格もの、『黒い霊気』に次ぐ長編第2作。

エドワード・D・ホック編『密室大集合』という密室ものの短編傑作集の「まえがき」で紹介されている作家、編集者、批評家、ファンが選んだ古今の名作密室長編のリスト(全15作)の14番目(タイ)に挙げられているのが、本書である。

ちなみに上位5点を挙げると、『三つの棺』ジョン・ディクスン・カー、『魔の淵』ヘイク・タルボット、『黄色い部屋の秘密』ガストン・ルルー、『曲がった蝶番』ジョン・ディクスン・カー、『ユダの窓』ディクスン・カーター。

15作中半分ぐらいは読んだ事になるが、読んだ時期がばらばらなので、どれがおもしろかったという比較はできない。
ただあまり期待しすぎると、肩透かしにあうということだけは言える。

で、本書。これも密室の謎解きは例によって例のパターンともいうべきもので、それだけを取ればちょっと…、というものだが、新しいといえば新しい。

<素人探偵七人会>のメンバーが殺されてゆく連続殺人もの。会の主宰者である女性の探偵ごっこ(彼女がアメリカ人の探偵サッカレイ・フィンに事件の依頼をする。イギリス人社会におけるこのアメリカ人との対比もおもしろい。)など、いかにも興味深い小道具を随所にちりばめて、オーソドックスな探偵小説らしいムードを盛り上げているのが、楽しい。

本格もののファンは必読、楽しめます。

ただ、ピーター・ラヴゼイが私の好きなピーター・ダイヤモンド警視(同世代だ)シリーズで、同じような探偵小説好きの集まり「猟犬クラブ」のメンバーの密室殺人を扱った作品『猟犬クラブ』を発表しているが、私はあちらの方が好きだし、出来もいいと思う。

密室もの素人探偵小説愛好家もののパスティーシュ(?)としてはおもしろいが、その程度ではというのが私の印象。

「解説」の鮎川哲也もかなり高い評価をしているようだが、そこまで持ち上げるのもどうかなぁ…。

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2004.05.28

左利き用ハサミって?―『とんちんかん道具館』より

『とんちんかん道具館』という本のなかに「左利き用ハサミ」というものが紹介されている。

『とんちんかん道具館』朝日新聞日曜版編集部編 朝日新聞社 1999.11.5刊


朝日新聞日曜版に1998年1月から道具学会員を中心に15ヶ月64回に渡って連載された、消えたもの、残ったもの、新たに生れたものなどをめぐるエッセイ「とんちんかん道具館」から63話を収録。

左利きの妻を持つ、造形大出身の広告プランナー富山祥瑞の担当したエッセイである。

左利き用ハサミなるものを買って妻にプレゼントしたが、「力の入れ加減がわからない、全然使えないわ」と不評であったという。右手用を鏡写しにしたもので、工学的には正しく作られているはずなのに…、と疑問を持ち続けていた。
6年後、文具店でハサミが「大人用」「大人左利き用」「子供用」「子供左利き用」と分類されて売っているのを見たという。「子供左利き用」はまさしく右手用を鏡移しにしたものだが、「大人左利き用」は刃の重なり方は右手用と同じで、ハンドル部分は左手にフィットする形になっている。「これは、相当に考え抜かれた配慮ではないのか」と氏は言う。

これは、私のホームページ『レフティやすおの左組通信』の「左利きphoto gallery〈HPG3〉左手用/左利き用はさみハサミ鋏コレクション」でも紹介しているFISKARSフィスカース製の「右刃左足」(業界ではこういうふうに呼ぶようだ)のハサミのこと。

dsc031208_054.jpg

氏は

ハサミに限らず、子供のころから右利き道具に適応してきた大人にとって、「左利きのあなたのための鏡像構造」という道具たちは思いの外、不親切だったり、使いにくかったりする。」という。「「左利き用」が真に、左利きの人たちの道具となるためには、理屈だけでなく、使う人の立場で深く観察され、開発されなければならない。こうした手順を踏んだからこそ、「大人用左利きハサミ」はすこぶる評判なのである。

と結んでいる。

さてここには、氏の大いなる誤解あるいは錯覚―認識の間違いがある。

それは、最初に買ったという左右が鏡写しになった形状のハサミを「左利き用」と認識していること。
便宜上、私も「左利き用」という表記を併用しているが、以前にもこのWeblogで「「左手用」と表記しよう」でも書いたように、これは「左手用」と呼ぶべきなのだ! 実際にハサミの包装にもそう表記されている。(一部の商品には「左利き用」と表記しているものもあるが、私の場合と同じで、一般の人の中に間違った認識があるから、便宜的にそれに合わせているのが実情だろう。)
利き手に関わらず左手で使うための道具として、左手の自然な動きで機能するように作られているのである。

hidariteyou.jpg

正確に言えば、この世には「右手用」「左手用」の2種類のハサミがある、と考えるべきなのだ。

では「左利き用」ハサミとは?
それは、氏がほめているこのフィスカース製のような「右刃左足」という特殊な例外としての「左利き用」である。

あのハサミは確かにそういう意味では「左利き用」である。氏が述べるように、ここにこの左利き用品の問題のむずかしさがある。

左利きを異端として排斥する時代に幼少期を過ごした人たちは、否応なく右利き偏重社会に組み込まれた。右手使いに転向するか、右手(右利き)用品に自分を合わせるしかすべはなかった。「「左利き」表記は左利きに優しいか?」で書いたような左利きであることを恥じる人たちもそういう人たちだ。このような人たちは、近年の子供たちのように〈マイ・ファースト・ハサミ〉が「左手用」だった人たちと違い、いきなり「左手用」を手にしても今までどおり使えるとは限らない。

このような右手(右利き)用に慣れてしまった人たちに対してどのようなアプローチを行うべきか、という問題である。
人間の適応力を信じて全面的に左手用に慣らしてもらうか、あるいは特殊な道具を工夫するか。

本来、理想はあくまでも「左手用」を使うことである。右利きの人が使う場合と同じ発想で、右利きの人が「右手用」を使うように左利きの人は「左手用」を使うべきである。

しかし、問題を解決するということは、より多くの人たちに幸せをもたらすことであろう。とすれば、ただ今現在のような過渡期にあっては、このような奇矯なものが現れてその時代の人に便宜を与えることも考えなければならないのである。

*氏は、左利き道具の人気は1978(昭和53)年にピンクレディー「サウスポー」が大ヒットして以来だという「一説」を紹介しておられるが、最初の左利き用品"ブーム"は(私の関知するところでは)、麻丘めぐみの「わたしの彼は左きき」がヒットした1973(昭和48)年ごろである。当時は精神科医箱崎総一による「左利き友の会」が活動中で、マスコミでも大いに取り上げられ、各百貨店などでも左利き用品売り場ができたという。

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2004.05.25

右手・右利き向けロゴとディスプレー

ヘアードライヤーが壊れたので日曜日に近くの家電量販店に出かけた。
一列二段に渡っていろいろなドライヤーが陳列されている。今一番の人気商品はマイナスイオンが出るというもの。一流メーカーのちょっとお高い商品がでかでかとスペースをとっている。同様にマイナスイオンが出るという他のメーカーのもの、イオンの出る機能のない従来どおりのドライヤー類がさらに並んでいる。

本体で支え、取っ手がすぐに手に取れるように浮いている状態で、取っ手が右で、吹き出し口が左になるようにディスプレーの台に置かれている。側面の品名やロゴ、宣伝用のシールなどがこちらを向いている。

流行に乗るわけではないが、どんなものか試してみたい気もあるのでマイナスイオンの出るものでそこそこのお値段のものを、と考えていた。もうひとつの要素は音である。静音、低騒音をうたうものがある。これがよさそう。

というわけで、色々試してみようと手を伸ばした。もちろん左利きの私だから、伸ばした手は左手だ。
これが取りにくい。右手を出す、とこれは取りやすい。

ここでも案の定、右利き向けにディスプレーされているわけだ。そしてその向きならロゴが見える。きれいなお姉さんが髪をブローしているシールも見える。
右手で取り、左手に持ち替えてみる。すると「裏側」には無粋な「使用上の注意/警告」のシールや定格表示など。きれいなお姉さんのシールなどは一切見られない!

もちろん使用中はロゴなどまったく意味を成さない。機能的に見て右利き対応でなく、左右両用ならそれでよいのだ。

しかし、である。使うのは人間だ。感情のある人間が使うのだ。同じ使うなら気持ちよく使いたいのは誰も同じ。それが人情だろう。

注意や警告をしょっちゅう目にしたい人はまずおるまい。キラキラ光る飾りが見えたり、カッコつけた商品ロゴが目に入る方がよっぽど心地よいというものだ。

さて、ここで考える。
このような場合、左利きの人はどこまで抗議してよいのだろうか?

不快感を表明するのは許されることだろう。
しかし、右手・右利き向けロゴやディスプレーについてそれ以上のことは言えるだろうか?
機能的に問題があるのなら、別だ。これは大いに訴えるべきだろう。右利きや右手使いの人だけでなく、左利き・左手使いの人のことも考えよ、と強く抗議すべきだ!

ところがロゴや店頭のディスプレーとなると、一概には強く言えないのでは、と考えてしまう。
遠慮するわけではないが、その辺はご勘弁を、といわれるとそうそう無理にどうしろとは言えないような気がする。

少数派だから差別されていいというわけではない!
しかし少数派を思いやるといっても、限度があろう。社会の運営上どうにもならぬ部分もあるだろう。どうしても効率を考えねばならぬ時もあるだろう。そんな時私たちはどうすればいいのだろう?

今私は悩んでいる…。

追記―
ロゴを両サイドに表示すれば、どちら向きに置いてもアピールできる。ディスプレーもどちら向きにも置ける台を用意すれば、後は店頭で最初にどちら向きに並べるかだけの問題だ。
これで解決はできるかもしれない。

基本的にはすべて左右共用品にすれば良い。しかし、余計な費用を負担しなければならないことになるかも知れぬ。その時どうするのか。
また他にもさまざまな効率の問題、費用の問題がある。それをどう考えてゆくのか。
個別に解決の方法を模索することは可能かもしれないが、それで本質的な解決につながるのか。
どうなんだろう?

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2004.05.23

アンケート第4回「貴方の好きな左利きの呼び名は何ですか?」のお知らせ

サイドバーでも紹介していますように、私のサイト「レフティやすおの左組通信」で、本日5月23日よりプチアンケート第4回「貴方の好きな左利きの呼び名は何ですか?」の受付を開始しました。

今回は「左利きの人」を指す呼び名について考えてみようと思います。
「左利きの人」を指す言葉に対する反応も、その人の過去の体験により様々です。どのような言葉を好むか、どのような言葉を選ぶかによってその人の左利きに対する思いが見えてくるような気がします。
内容は―

左利きをあらわす呼び名といえば、日本語としては「左利き(の人)」「(左)ぎっちょ」、英語から来たものでは「サウスポー」「レフティ(ー)」などがあります。

一言で左利きの呼び名といっても、人それぞれさまざまな思いをお持ちのようです。
「××」と呼ばれて嫌な思いをした、「○○」の方がいい。カタカナ言葉より日本語の方がわかりやすい。いや、カタカナの方が差別くささがなくてすっきりする。なんかカッコイイ、などと。あるいは普通に「左利き」でよい、という人もいます。

「(左)ぎっちょ」は「差別語」と考える人もいます。(私は最近「ぎっちょ」の語感も「結構かわいいじゃん!」と感じるようになっています。)

「サウスポー」は本来は左腕投手を意味する言葉でしたが、あるアメリカ人はアメリカ発の非差別的用語として世界中に広まった言葉であると自慢しています。
(ジェームス・ブリス/ジョセフ・モレラ『左利きの本―右利き社会への挑戦状』 草壁焔太訳 講談社 「われらの右利き社会」21p〈左利きにとっても不快でないアメリカのスラング「サウスポー」が急速に世界中に広まった。〉)

日本でもピンクレディーの歌で、広く一般にも知られるようになりました。
しかしこれも、「ポー」は動物の前足を指す言葉で、差別語だ、証拠に右利きを「ノースポー」とは言わないだろう、という意見もあります。
(ジーニー・ヘロン編集『左きき学 その脳と心のメカニズム』近藤喜代太郎 杉下守弘監訳(西村書店)「第1章 左利き:初期の学説、事実、空想」ローレン・ユリウス・ハリス 4p(欄外注釈)〈“サウスポー”は侮辱用語ではないが、少数者を差別する用語には相違ない。右きき党首は決して“northpow”とよばれるわけではない。〉)

「レフティ(ー)」は、長島元巨人軍監督が「レフティーズ云々」の発言により市民権を得たようです。

さて、貴方がご自分で「こう呼ばれたい」と思う呼び名、あるいは「私はこう呼んでいる」という呼び名を教えてください。次のなかからひとつをお選びください。

また、こういう呼び名もあるよ、というご意見もお待ちしています。

*投票者の利き手別で選択肢を用意しています。ご自身でご自分の利き手をどちらか判断した上で投票してください。

*一言言わせて、というお方は投票後に表示されます一番下の「ご意見ボード」をご利用ください。もっと言わせて、というお方は掲示板もご利用ください。貴方のご意見ご感想をお聞かせください。

1(右利きの人)「左利き(の人)」
2( 〃 )「(左)ぎっちょ」
3( 〃 )「サウスポー」
4( 〃 )「レフティ(ー)」
5(左利きの人)「左利き(の人)」
6( 〃 )「(左)ぎっちょ」
7( 〃 )「サウスポー」
8( 〃 )「レフティ(ー)」
9その他(具体的にお書きください―例:レフトハンダー)


さて、どのような結果となりますでしょうか。皆様、ぜひご協力お願いいたします。
特に右利きの方のご意見をお待ちしています。

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2004.05.20

50にして知る左手用/左利き用鉛筆削りの快感

dsc040520_015.jpg
左:左手/左利き用の鉛筆削り、右:一般に売られている右手/右利き用の鉛筆削り、刃の向きが逆になっている

ものには「使い方」があります。「正しい使い方」をしないとその性能を十分に引き出せません。
十数年前に買ったドイツ製の手持ち式の鉛筆削りがあります。まったく使っていませんでした。なぜかというとその良さがわからなったからです。従来の右利き用でも(左手で)十分使えると思っていました。

今回左利きのためのメールマガジン「レフティサーブ」36号を読んで、ピンと来るものがありました。
ゼンマイおもちゃについてのお話だったのですが、

モノをつかむときのように右手の甲を上にして、時計回りにひねると簡単に180度はまわる。
つまり手のひらを上にすることができる。
逆にそれを反時計回りにやってみると、あ~ら不思議、ほとんどまわらないのだ。
手の機能として内側にはまわらないようにできている。

というわけで左手でゼンマイを巻こうとすると、内側に向けて巻くことになり、少しづつしか巻けないことになる。

という。
そうだったのか、と気付きました。ガッテンガッテンガッテン!(私はNHKが好きです!)

私はこの鉛筆削りを正しく使っていなかったのです。今までどおり右利き用で使っていたのと同じ感覚で使っていました。これは間違った使い方でした。少なくとも「最高に性能を発揮させる」という意味での「正しい」使い方ではありませんでした。

右利き用を使うときは、あらかじめ親指を上にした位置で鉛筆を持ち差し込み、手首を右へ(時計回りに)回して削る。すると手首は最大でも90°ぐらいしか回りません。そこで小刻みにギリッギリッギリッと45°ぐらいの振り幅で削っていました。

この左利き用でも同じ要領で、右手にこれを持ち、左手に持った鉛筆を差し込んで(従来品とは逆の)左に回して、ギリッギリッギリッと削っていました。まったく同じです。回す方向が変わっただけで何一つ便利なことがない、この程度のことで左利き用も何もないよ、そう思い込んでいました。

しかし「正しい」―最高に性能を発揮させる「使い方」は、こうです。
手の甲が上になる位置で鉛筆を持ち、差し込む。そして左回りに―外側に向かって手首を回して削るのです。すると手首はおよそ180°回転するのです。ギリリリリーッと一気に鉛筆が半周分ほど削れるのです。二度ギリリリリーッとやれば、一回転分削れます。すばやく削るためにもの少し角度を減らしても、ギリリリッギリリリッでも三回ぐらいで一周分は削れます。
今までのように小刻みにギリリッギリリッやらなくてもいいのです。一回あたりのストロークがずっと長くなりスピードアップにつながります!

やっぱり手にあった製品にはそれなりの効用があるのです。気ままに、偶然に作られているわけではないのです。ちゃんとした理屈があって作られているわけです。ただそれを知っているかどうかが問題です。
残念ながら私は知らなかった。これは右利き偏重社会のなかで、正しい左手の使い方(?)を見失っていた私がうかつだったというだけではないでしょう。

左手用/左利き用品を作る側の人たちも、こういう中途からのユーザーのために「正しい使用法」を告知してゆく必要があるのではないでしょうか。

左手用/左利き用ハサミを「欠陥品」「設計ミス」と呼ぶ左利きの人もいます。中途ユーザーにとっては使いづらいというのは理解できます。
しかし、せっかく左利きの人のために作られた製品です。私たち中途ユーザーもそれなりに努力して「正しい使い方」をマスターし、素晴らしい使い心地を満喫しましょう!

左利きの人たちよ、左手用/左利き用品をどんどん使って、右利きの人がどんなにいい気分でラクラクと作業していたのか実感しましょう。
さらにまわりの右利きの人に使わせて、左利きの苦労を身を持って擬似体験してもらいましょう。かならずや相互理解に役立つはずです。

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2004.05.17

「左利き矯正」成功者は利き手誤認?

左利きに関してこういう人たちがいます。

「私は記憶にないのですが、小さい頃に矯正されて右手を使うようになりました。矯正による弊害や後遺症が言われますが、まったくストレスを感じたこともなく、言葉にも問題はなく、特に困ったこともありません。」
「左利きを矯正されたらしいが特に記憶がない。今では何でも右手でできるので、親に矯正してもらったことをうれしく思う。」
「私の例で言うと、左利きは矯正できる。小さい頃に左手を使えないようにして、右手を使うようにしてやれば、一週間ほどで直る。」

これらは、いわゆる左利き矯正(昔はこう呼んで躾の一環として右手使いを強要した)に成功したという人たちです。

しかしこれらの人たちのうちの何人かは、単なる利き手誤認者ではなかったのか、と私は思います。
もちろん成功したという人のすべてがそうだというのではありません。あくまでも何人かの人はそうではないのか、と疑問に思うのです。

これらの人に共通する要素のひとつは、本人が記憶にないほど小さいころに「矯正」が行われたという点です。

利き手について研究した本に書かれているのは、利き手が固まるのは7,8歳で、それまでは成長の過程で利き手が右左と転換するというのです。
利き手が固まる前にどちらかの手を使わせることに決定する場合―6歳で小学校に入学するのですから、当然そうなります―、どの時点で利き手を認定するかが問題になってきます。

偶然左手をよく使う時期に、親が早とちりしてこの子は左利きだ、右利きにしようと考えたとしたら、本来右利きの子はすぐに右手使いに慣れるかもしれません。結果的に「左利きの矯正」に成功したことになります。親は子にそのように話すでしょう。ところがこれは親の認識にすぎないのです。親にとっては事実かもしれませんが、真実ではないかもしれません。

逆に「右利き」とされてしまう子もいるかもしれません。右利きで不器用という人の中には、本来は左利きだった人もいるかもしれません。あるとき左手でやってみると、こっちの方がうまく行くという経験をされた人もいるようです。

小さい頃、まだ子供の能力が柔軟なうちだから成功するというのですが、単なる誤認である可能性もあるのではないでしょうか。

私がいわゆる利き手転向者の言を信用しないのには、このような疑問が常に心の中にあるからです。本当に自分の「真実の利き手」を知っての発言かどうか、つい眉に唾をつけてしまいます。

私は利き手の判定に、教えてもらって身に付けた動作を含めてはいけないと考えています。あくまで自然な動きの中で、どちら側をより多く、あるいはより巧みに、より素早く使うかを見なければならないのです。本性を見定めなくてはなりません。

さてさて事ほど左様に、利き手の認定というものはむずかしいものなのです。
世の親御さんたち、十分心してください。

*ただし大部分の人の場合、右利きであれ左利きであれ偏向の度合いが強いので、ある程度の年齢になるとかなり明確になるようです。

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2004.05.16

なぜ今アンケート「左利きの子に右手使いを試みるべき否か」なのか

いよいよわがサイト「レフティやすおの左組通信」で実施中のこのアンケート「左利きの子に右手使いを試みるべきか否か」も締切まで一週間を切ることとなりました。(アンケートは基本的に月一ぐらいで新しいものに変えてゆきます。)
というわけで、このアンケートを選んだ経緯などを書いてみます。

元をたどればこのアンケートも「「(左利きの)矯正」を死語にしよう」からの流れで、この左利きの子における右手使いへの強要圧力というものを考え直してもらおうというキャペーンの一環です。

ある日一人のビジターからのメールで「Yahoo!の育児掲示板」に「左利キッズのママパパ」
というものがあると教えていただきました。

(後日、各メッセージをたどってみますと、以前左利きサイトを巡回していた時にこの掲示板を見ている事に気付きました。その際も一度言ってやらねばと思ったものでした。今回も同じ思いですが、どうもこのYahooというのが私の気にいらず―特に理由はなく、単なる好き嫌いの問題です―、メッセージを送る事は止めました。代わりにここで書いてみることにしました。)

2002年10月の相談以来、350通を越えるメッセージが寄せられています。左利きのお子さんをお持ちで子育ての最中の方、既に大きくなられたお子さんをお持ちの方、あるいは左利きの人の体験談など、実にさまざまな声が聞かれます。
しかしここでは、依然、左利きの子供さんへの右手使いへの圧力が強く働いている事実が述べられていました。
十分予想されることではありましたが、右利きの人たちにおける左利きへの理解というものはまだまだ低いということを改めて実感させられます。

先に紹介した現役の小学校教師親野智可等さんのメルマガ「親力で決まる子供の将来」の「左利きを右利きにする必要は、一切ない」という記事にも多くのメールが寄せられるように、またいくつかの左利きサイトの掲示板にもいろいろな形での書き込みが成されるように、この問題は根強く生きています。

そこで、この問題を取り上げてみようと考えたわけです。

さあ、もう一度じっくりと左利きの子の右手使いについて考えてみてください。
右利き左利きに関わらず、子供さんのいる方もいない方も、子育てはもう済んだという方も、子供には縁がないという方も。
明日を生きる子供たちのために、より良き未来のために!

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2004.05.13

子供の利き手を見極めよう

前回紹介した小学校教師によるメルマガ「親力で決まる子供の将来 」No.194/2004.5.11の「左利きを右利きにする必要は、一切ない。」についての「みかん」氏のメールによると―

保育園出身のこどもに左利きが多いのです。そのうちの何人かは、字がきちんと書けません。 /おかしいなと思い、「ちょっと右手で書いてごらん」と、ためしに右手で練習させてみたところ、右手で上手に書くようになりました。 /このこどもは本来右利きだったのです。一歳から保育園にあずけられていました。 /保育園で、保育士と向き合ってお絵かきをしたとき、保育士が右手で持っているのを真似て本人は左手でかくようになったのではないか?と、1年生の担任同士で考えています。

私は科学的に利き手を研究したわけではありません。以下は、今までに読んだ利き手に関する本からの知識などを自分なりに解釈した上での個人的見解です。

利き手は幼児期においては成長の過程で変わるといいます。
私なりの解釈でいうと、左右の脳の発達状況により、よく使う手がある時は右であったり次には左になったりといれ変わるわけです。
7,8歳で利き手が固まるというのですが、実際にはそれ以前に既に字を書かせたり、箸を使わせたり、はさみなどの道具を使わせるわけです。
このよく使う手が入れ替わる時期に、親もしくは周りの大人が左手をよく使っているのを見て、勝手に左利きと判断したのかもしれません。間違ったレッテルを貼ってしまったのです。
かつては右手使いを強要する傾向が強かったので、こういう逆の例はまず見られなかったのでしょう。

今年のゴルフ、マスターズで優勝したミケルソンという選手は、右利きで左打ちのゴルファーです。
彼は父親に連れられてゴルフを練習するとき、お父さんと向かい合ってクラブを振っていたため、鏡に映すように左打ちになったといいます。
この子の場合もそういう形で左手を使うことを覚えたのかもしれません。そして先に述べたように、親もてっきり左利きと判断してしまったのでしょう。

もうひとつの可能性は、左利きにあこがれる親もしくは周りの人がそういうふうに教えたのかもしれません。
左利きに対しては、旧来の誤った考えで左利きを極端に嫌う人がいる反面、逆に左利きの実体を知らずに、表面的に左利きをカッコイイといってあこがれる人もいるのです。
そういう人が関わっているのかもしれません。

どちらにしても子供の本来の利き手を尊重していないことになります。
利き手を正確に判定するというのはなかなか難しいところがあります。強度の偏向のある人はわかりやすいのですが、そうでない人の場合も存在するわけです。又先ほども述べた様に、小さいうちは完全に利き手が定まっていないことも考えられます。
利き手を見極めるにはただ、観察あるのみ。時に遊びを通して確かめるべく両手を試してみるしかないでしょう。
ある程度の年齢になれば自然に明らかになります。あまり性急に答を出さない方がいいのかもしれません。

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2004.05.11

現役小学校教師がメルマガで取り組む左利き問題

左利きのための快楽メールマガジン「レフティサーブ」 35号によると現役小学校教師、親野智可等さんが自分で出しているメルマガ「親力で決まる子供の将来」「左利きを右利きにする必要は、一切ない」という記事を掲載しているそうです。

*「親力56 左利きを右利きにする必要は、一切ない。」 バックナンバー:2004/05/05 no.188~05/10 no.193 まで6回掲載

右手使いについては、左利きの子にとってはまだまだ大きな問題になっています。これは子供の教育をつかさどる文部科学省が明確な指導方針を示さないところに問題があるのではと考えていた私にとって、現役の教師がメルマガでこういう明確な考えを示しておられると知り、心強く感じました。
さっそく登録し、メールを出しました。
今私のサイトでも実施している「左利きの子に右手使いを試みるべきか否か」というアンケートの投票情状況を交え、私の意見を述べてみました。

氏は、バリアフリーに絡めて、

「左利きの方々も」「現在の社会の中にある根深い無神経さ」「を感じていると思います。それを積極的に社会に訴えていって欲しいと思います。」 「そうすれば、右利きの人たちも、社会全体がいかに左利きの人たち に不便にできているかを理解するでしょう。 訴えなければ、理解してもらえません。」

と書いておられます。まさにその通り。私と同じ考えです。

皆様もこのメルマガを一度お読みください。お子様をお持ちの方はぜひ登録されることをオススメします。
登録はこちらから 「親力で決まる子供の将来」

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2004.05.10

左利きの本だなぁ『左利きの本―右利き社会への挑戦状』ブリス、モレラ

ジェームス・ブリス/ジョセフ・モレラ『左利きの本―右利き社会への挑戦状』 草壁焔太訳 講談社 1980 昭和55年12月20日 第一刷発行 The Left-Handers’ Handbook


~左利きが恥かしかった頃~ 
 この本は約23年前に出版されたものです(前回の〈左利きの本だなぁ〉で紹介した箱崎総一著『左利きの秘密』の翌年)。
 私は当時(20代後半)、一度本屋で立ち読みした記憶があります。四六版のペーパーバック本で980円、決して高くはなかったようですが、当時は小遣いに余裕のない「文庫派」だったこともあり、結局買っていません。
 また、当時はまだ私自身、完全に左利きに目覚めてはおらず、どこかに左利きに対するコンプレックスがあり、かつ反発心があり、興味はあるものの素直に本を楽しめる気分ではなかったのだとも思われます。
 さらに言えば、以前の記事「「左利き」表記は左利きに優しいか?」で書いたように、左利きに対する隠したい気持ちが心のどこかにあって、レジにこの本を運べなかったのかもしれません。ハードカバーでもっと学術書的な装丁ならばインテリぶって買っていたかもしれませんが…。

 もうひとつ、内容的にちょっと「ちゃっちい」感じがあったのも否めません。今思えばそれなりに親しみの持てるイラストの表紙と感じますが、あの頃はもう少し格調のあるものであって欲しいという願望があったようです。
 巻末の左利きの有名人のリストでも、プロ野球や、ボクシングの人といったスポーツ系が多く、「やわな」イメージで、「正統」かつ「本格的」な左利きの本でないような気がしたものでした。たとえば、左利きに関する脳神経科や心理学者といった、その道の何々博士といった権威のある人の著作でないのが気に入らなかったのかもしれません。

~戦え闘え、左利き~
 本書は、左利きに関する初心者向けの入門書であり、左利きの著者による左利き応援本でもあります。
 第一部外国編は左利きのアメリカ人によるもので、言葉の中にひそむ右利き社会の左利きに対する偏見から書き起こし、アメリカの左利きの会の紹介で締めくくられています。
 第二部は、元は左利きだったらしいが幼児期に左腕を負傷し、その後完全に右利きとなったという訳者の調査による日本編。

 第一部では、まずことば(主に英語)における左利き差別、男尊女卑ならぬ「右尊左卑」ともいうべき実態から説き起こし、歴史をたどりながら不当に扱われてきた左利きの立場を紹介しています。その節々に左利きの著者らしい左利きの優越性を誇るような言説を交えて語っています。もちろん左利きには快い部分でもあり、時に右利きの人からはそんなことで喜ぶなよ、という声も聞こえそうですが…。
 それにしても英語における左利き差別の実態には改めて驚かされました。rightに「正しい/権利」といった意味があることは英語の時間に習ってはいたものの、leftとの間の落差はひどい。常日頃これらの言葉を使って生活していれば、左利きの人の意識に大いに影響が出てくると思われます。幸い日本語の場合は、一部の中国に由来する漢語に左軽視の意味合いのある言葉がありますが、英語の場合のような極端な偏向はないので、よい国に生れたのかも、と考えてしまいます。
 また日本の旧「左利きの会」のことや「わたしの彼は左利き」「サウスポー」といったヒット曲の話題にふれて、日本の方が左利きに希望が持てる社会であるような記述も見られ、ちょっと自慢したくなるような気にさせてくれます。
 昔、テレビなどで左手で字を書いている「西洋人」を見て、欧米の社会では左利きが容認され、うらやましいものだと思っていたのですが、向こうの世界でもさまざまな問題があったのです。
 第三章「左利きの生活と仕事」で、左利きの人と会食するときの心得や左利きでの家事の方法、左利きの子どもへの教育などちょっと役に立つアドバイスが見られます。

 第二部で日本は本来「左尊右卑」の国と訳者は述べています。しかし、中国から漢字が輸入され、その書字、さらに農業における集団作業の中で、左利きは疎外されて、忌み嫌われてきたと続けます。そして左利きの有利さを生かす道の一つとして、スポーツ界の左利きについて述べています。
 さらに左利きの商品やお店の紹介、左利きの有名人のリストなどを載せ、左利き読者の便宜をはかっています。

 訳者は「矯正」を「矯悪」と言い換えて、再三この行為を戒めているのが印象的です。左利きに対する理解の不足、右利き社会の持つ圧力に対する怒り、憤りといったものが伝わってきます。それは副題の「右利き社会への挑戦状」という表現にも感じます。今なら、もう少し穏やかなことばが使われるのではないでしょうか。当時いかにまだ左利きの問題が理解されていなかったかを表しているのでしょう。もちろん、二十年後の今日も依然この問題は根深く生き残っており、右利き社会の圧力とその歴史の重みを感じさせます。

 昨今出版される左利きの本はみな穏やかな内容のものになってきています。それだけ左利きを取り巻く状況に切迫したものが感じられなくなっているのかもしれません。しかし本当の実態はどうでしょうか。まだまだ左利きに対する理解が進んでいるとはいいがたい面があります。
 新しい情報を載せたこういう一般向けの“やや過激な左利きの本”が、今の時代にも必要なのではないでしょうか。

*参照―『レフティやすおの左組通信』「左利きphoto gallery〈HPG2〉左利きの本だなぁ」

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2004.05.07

『サイレント・ジョー』T・ジェファーソン・パーカー

『サイレント・ジョー』 SILENT JOE T・ジェファーソン・パーカー 七搦理美子訳 早川書房

サイレント・ジョー (ハヤカワ・ミステリ文庫)

2001年MWA(アメリカ探偵作家クラブ)賞最優秀長編賞受賞作。

ハンディキャップを持つ青年が人生の真実を求める物語。

昼は保安官補として刑務所の看守として、夜は郡政委員である養父の護衛として働く物静かな(サイレント)ジョーはある日、目の前で養父を銃殺される。養父を護衛できなかったことを悔やみ、養父殺しの犯人を追及するが…。

硫酸ベイビーと呼ばれた少年ジョーの前に現れた理想の男ウィル・トロナ、しかし彼はより大いなる善のためには小悪も辞さない策略家でもあった。<友人には手を貸せ、敵はうまく利用しろ>。 いったい彼はどんな事件に関わっていたのか…?

24歳の主人公ジョーと養父、さらに実父、そして実母、愛するパートナーを失った養母との関わり。顔の傷跡というハンディキャップを克服して生きるジョーにとって初めての恋愛。これらの人間関係の緊張の中で、事件を追求するジョーの一人称で進められる物語は、ミステリとしてのおもしろさもさることながら、親子の人間物語としてのおもしろさ、ハンディキャップをいかに克服して生きるかというジョーの心の物語としてのおもしろさが光っている。罪と許しの物語でもある。

「そいつはただの傷痕だ。誰だって持っている。きみのは外にあるというだけのことだ」

そう、人はみな傷痕を持っている。今もうずく傷痕を。私も持っている、人の目にふれないところに。

美しい顔を見たときどう思うかという問いに、「その人は運がいいと思います」と答えるジョー。
私も右利きの人を見ると、そう思う。「運がいい人だ」と。

人間の美しさとは? 人間の罪とは? 人間の運とは? そんなことを考えさせられてしまった物語でした。

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2004.05.04

「左利き」表記は左利きに優しいか?

近年「左利き」と銘打たれた商品や「左利き対応」と明記された商品が少しずつですが増えてきました。左利きにとってはうれしいことですが、実はちょっと気になるという人もいるのです。
さらにいうと、一方ではハサミなどで、「左手用」という表記もあります。
以前私は、「左利き用」ではなく「「左手用」と表記しよう」  という一文を書きました。
私自身は使い手を選ぶ片手使用の道具類には「右手/左手用」の表記がふさわしいと考えています。
これは来るべき「左右共存社会」に対応した表記をめざす、という意味も含めて、単なる「左利き用」では右利きの人には無縁のものという印象を与えてしまい、普及にブレーキをかける恐れがある、という考えによるものです。
利き手と実際に道具を使う手が人により異なる場合があるという観点から、使い手をあらわす表記に変えていこうというわけです。
一方で、実は「左利き用」という表記に対する影の部分をも考慮に入れたものでもあったのです。

今まで書かなかった影の部分というのは、「左利き」に対する感じ方・考え方の世代間格差とでもいうべきものです。
近年、左利きに対する考えは大きく変容してきました。今では、左利きが左手を使うことに対して異を唱える人は少なくなりました。右手使いを考える人もいますが、その理由としては、あくまで右利きが多数派で社会の構成が右利き用にできているため、左利きは不便だろうからできる範囲で右手を使わせようとするものです。

それに対してかつては、私が小さい頃などは圧倒的に「左利きは恥ずかしいこと」でした。「左手使いは恥ずべき習性」と考えられていました。「直すべきもの」、「矯正の対象」でした。
そのような時代に年少時代をすごしてきた人々にとっては、「矯正」に成功した人であれ、半ば成功した人であれ、失敗した人であれ、自身が「左利き」であるということを認めることはたいへん勇気のいることなのです。

ある人が言いました。

最近は左利き用のなんやかんやが出ているけど、いざ手にとって買うとなると躊躇してしまう。店員さんがこっちを見てるようで、嫌だ。「左利き用」と大きく書いてあるのを見ると、黄門さんの印籠を見せ付けられた悪代官じゃないけど、思わず引いてしまう。とても人に見せられない。レジに運べない。せめて、左手用ぐらいならましかとも思う。子供用なんかだと子供にとか孫に、といって買えるけれど…。

若い人には理解できないことかも知れませんが、私にはよく理解できます。こういう気持ちになるのは十分納得できるのです。

「左利き用」あるいは「左利き対応」といった表記も、人によっては「小さな親切大きなお世話」になりかねないのです。
そ~っと書いて欲しい。できればこの言葉を使わずに、なおかつわかるような表記を考えて欲しいのです。
せっかく左利きの人のことを思い、努力して工夫を凝らして作ってみても、使う人の心まで理解していなければ、結局は売れないという事態にもなりかねないのです。
もちろんそんな人ばかりではありません。時代は変わってきました。しかしそんなユーザーもいるのだという事実を理解していただけたらうれしく思います。

このような人を“隠れキリシタン”ならぬ“隠れ左利き”と私は呼んでいますが、ここに左利きの問題の難しさの一端が現れています。

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2004.05.02

OUTはアウト/桐野夏生「OUT」エドガー賞逃す

以前こちらでも読後感想を書いた桐野夏生「OUT」(3/5) 。最優秀長編賞に日本人作家として初めてノミネートされていた、アメリカ探偵作家クラブ賞(MWA賞/エドガー賞)が4月30日に発表されました。
残念ながら今回の受賞はなりませんでした。 
しかし、昨年発表された4作の中に選ばれただけでもすばらしいことです。(講談社インターナショナル刊の英訳版のこと。日本語版は1997年)
最優秀長編賞には英国の作家イアン・ランキン「甦る男」(日本語版・早川書房刊)。

映画のアカデミー賞の渡辺謙同様、桐野夏生の今後の活躍が海外でも期待されることでしょう。
日本のミステリに対する注目度も大いに上ることが期待されます。欧米に負けない作品が多く出版されている現在、今後の展開が楽しみです。映画でも日本のオリジナルがリメイクされてそこそこの成績を出しているようですし、期待は大です。
従来小説に関しては一方的な入超でした。今後どのように変わってくるのかは、ひとえによい翻訳家に恵まれるかどうかにかかってきます。日本人の活躍の場が増えそうです。逆翻訳家がこれからのねらい目かもしれません。


・OUT 上 (講談社文庫 き 32-3)桐野 夏生
・甦る男―リーバス警部シリーズ (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)イアン ランキン

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2004.05.01

左利き短歌その2

<右利き偏重社会>
かなしみは利き手の違いで差別され頑固な社会になみだなみだ
改札でからだとともに心までひねってねじれてかなしくて 

自動改札は、常に心して通らねばならない関門だ。あらかじめの用意がスピードに現れる。常に次の行動を予測して、シミュレーションすることが成功の秘訣だ、何事も。 04.4.18

<幼き日の思い出から―右手筆記の特訓>
おかしいといわれた言葉胸に秘め右手使いに挑んだあの日 
おかしいといわれた言葉になにくそと震える右手折れる鉛筆

右手使いを強要される(かつてはこれを矯正と呼び、さも正しい行為のように考えられていた)ことはなかったが、あるとき大人から言われた言葉に発奮し、人に隠れて右手使いにチャレンジしたことがあった。(すごく穏当な表現で素直な感じが出ているが、実態はもっとどろどろしたものが心の中に渦巻いていたものだ!)
字を書くことだったが、カタカナや画数の少ない簡単な漢字などは書けるようになったが、一画一画に力が入りすぎるのと時間がかかりすぎることなど、あまりに効率の悪さに非実用的で無駄な努力と見切りをつけた。 04.4.30

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