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2003.12.31

「たえ」さん、はじめまして

 「たえ」さん、はじめまして、私「レフティやすお」こと左利きのやっちゃんと申します。
 左利「右利きで検索してて「こだわってないけどこだわる」の「右利き左利き」見つけました。

 私のテーマは「左利き」です。左利きにコンプレックスを感じています。というか、左利きを悪く言う人がいること、左利きが右利きより苦労しなければいけない社会に憤りを感じています。右利きの人だけが楽をして、左利きが損をする、右利き社会を変革するのが夢です。右利きも左利きも同じように楽に生きて行ける左右共存社会を実現したいと考えています。
 左利きサイトによく出入りしています。自分でも来年早々にはリニューアル版HPを始める予定です。今はWeblog始めました。もち、主なテーマは左利きです。もし興味感じていただけたらお越しください。

 「たえ」さんの文章には、驚きがありました。

 「右手ばかりで生活していて不便じゃないんですか?」か?
 うーん、こういうのって、いいなぁ。 
 昔パートさんに仕事を教えるとき、左手も使うようにって言ったことがありますが、絶対ダメ! って感じでした。角度によっては、状況によっては左手使う方が便利なのにと思うのに右手にこだわる人ばかりで、困った経験があります。
 左利きの人は否応なく右手を使わなければならない場合が多いので、ある程度両手が使えますが…。
 私はこういう右利きの人を「強情な右利き」と呼んでいます。

 勝手なおしゃべりでごめんなさい。
 よかったらまた左利きの話聞かせてください。

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2003.12.29

やはり持つべきものは、友

 中学時代の同級生のナカタくんにこの「お茶でっせ」を始めたことをメールしといたところのぞきに来てくれました。そしてトラックバックを残してってくれたんです。
 で、さっそく友人宅をのぞいてみました。
 でもトラックバックがわからへんからコメントだけ残しといたら、今度はトラックバックの方法をおせぇに来てくれました。
 やっぱり持つべきものは「友」でっせ、というお話。

 ナカタくんは家族新聞「ゴーン」やってます。なんと1985年から家族新聞をずーっと続けているのです。クリスマスにふさわしいあったかいお話です(エッ、もうクリスマスはすんだて、硬いことはいわんといて)。

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2003.12.28

左利き川柳

 「左利き川柳」とは、左利きの人の生活の実態を、左利きの人の喜怒哀楽、心情を川柳に読んだものです。

〈左手に ペン持て箸持て 自信持て〉

 左利きの人へのエールです。

〈少数派? それでも世界が まちごてる!〉

 左利きの私自身の抱く世界観のひとつです。
 左利きを見慣れぬせいか、左手で字を書いたり箸を使ったりしている姿を見て「おかしい」とか「気持ち悪い」とか言う人がたまにいます。しかし、私たち左利きが「おかしい」のではなく右利きの人のほうがおかしいんじゃないか! と思うことがあります。少なくとも自分自身はまったく違和感がないわけですから。
 
新作の左利き川柳です。

〈わが子より 右利き社会に 愛の鞭〉

 自分の子が左利きと気付いた親が、子供が苦労しないようにと左利きの「矯正」を行うべきか、と子育て相談に問いあわせるということが未だに後を絶たない状況です。(実は、右手使いへの変更を「矯正」と呼ぶこと自体が左利きに対する偏見を証明しています。もしくは、左利きや利き手に対する無知を。)
 ホントにわが子がかわいくて苦労させたくないのなら、左利きが苦労することのない社会にこの世の中を変えてゆくのが本道でしょう。
 人種差別と取り組んだキング博士はわが子が肌の色の違いで差別されることのない社会の実現を訴えました。
 これこそが本当の親心です。

〈親心 あるなら 社会を 変えてくれ〉

参照*左利きの話題満載のHP「レフティやすおの左組通信」左利きのページ〈左組〉「左利き川柳」

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2003.12.25

私の望み

 私は決して贅沢を望んでいるわけではありません。ただ世間並みに、右利きの人たちと同じレベルの楽をしたいだけなのです。

 まわりの人の目を気にすることなく、隣の席の人に気を使わず、利き手である左手にペンを持ち字を書きたい、箸を持ちご飯を食べたい、それだけなのです。片垂れ式のヘッドホンのコードで利き手の動きをじゃまされたくない、大きな荷物を持っているわけでもないのに半身になって駅の自動改札を抜けるような真似はしたくないのです。刃先がフッ素加工されたハサミを使ってべた付きなくシールを切りたいのです。

 右利きの人より楽がしたいとか、今まで左利きに冷たい態度で接していた右利きの人を懲らしめたいとかいうのでなく(まあ、ひと世代かふた世代ぐらいなら振り子のゆり戻しで、右利きの人が虐待される時代があってもいいかとも思いますが)、ただ単に同じ平凡な一人の人間として少しでも楽をしてみたい、苦労の種を減らしたいと願うだけなのです。

 くりかえします。
 私の望みは、せめて一人の人間として、右利きの人たちと同程度の平凡な生活を送りたいだけなのです。

 左右対称に作れるものは左右対称に作る、左右どちらかに寄せる必要のないものは中央に設置する、それだけのことで右利きの人も左利きの人も共用できるものになるはずです。
 どうしてもどちらか一方の利き手/利き側に偏らねばならぬようなものの場合は、両用できるようなものにする―たとえば左右両側にスイッチなりなんなりを設置して。あるいは右用左用を一定の割合で用意する―人口のおよそ一割が左利きとすれば、一割前後の左利き用を用意する。

 このようなちょっとした心がけと工夫で、かなりの問題がクリアされるのです。

 ほんの一歩譲ってください。ほんの一瞬気を使ってください。それでお互いに幸せになれるのです。

参照*左利きの話題満載のHP「レフティやすおの左組通信」左利きのページ〈左組〉「レフティやすおの左利き私論〈1〉」

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2003.12.23

左利き宣言

 左利きは不幸の種ではない。にもかかわらず左利きが不幸となるのは、それを育てる右利き社会という土壌の存在であり、右利きという多数派の耕作人のなせる業である。

 1963年アメリカのワシントンにおいて、ドクター・マーティン・ルーサー・キングDr. Martin Luther Kingは「I HAVE A DREAM 」スピーチを発表し、肌の色の違いによって差別されることのない社会の実現を訴えた。

 私は今、利き手の違いによる差別のない社会の実現を訴えたい。
キリストは汝の隣人を愛せと教えたという。私は右利きの人たちに汝の隣人左利きの人を愛せと言いたい。
 愛するとは共に生きることであり、共感を抱くことである。同じ思い、同じ気持ちになろうとすることである。真実は理解できなくとも理解しようと努力することである。

 そして、左利きの人よ。
 ただただ身の不幸を嘆くのではなく、自分自身の言葉で周りの人々に告げよ。無知なる者には知識を与えよ。無理解なる者には理解を求めよ。
 自らの手で自らの道を切り開け。共に歩もうとするものたちと手と手を取り合い、勇気を持って前へ進め。

参照*左利きの話題満載のHP「レフティやすおの左組通信」左利きのページ〈左組〉「レフティやすおの左利き私論〈1〉」

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左利きのやっちゃんです

私は左利きのやっちゃんです。

左利きで生きてきて思うこと、それはいい思いをするより嫌な思いのほうが圧倒的に多いということです。

昔に比べればこのごろは左利きをうるさく言わなくなったように見えます。
でも左利きをよく思わない人がまだまだいます。
特に年配の人に多いのです。

左利きは生活する上でも不便なことが結構あります。
仕事となるとある程度は諦めも入り、それなりに右利きのこの社会にあわせるようにしています。

でも本当は自分らしく生きたい、ありのままの左利きで生きてゆきたいのです。
それが一番楽だから。
誰だってそうでしょう?
当たり前に暮らしたい。それだけです。

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